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'''エーリッヒ・クンツ'''('''Erich Kunz''', [[1909年]]5月20日 - [[1995年]]9月8日)は[[ウィーン]]生まれの[[オペラ]]歌手。喜劇的な[[バリトン]]役を得意とし、特にモーツァルトにかけては絶対不動の地位を占め続けた。[[ウィーン国立歌劇場]]には1940年から所属しているが、同劇場の戦後分だけで、フィガロ249回、パパゲーノ338回、レポレロ211回という、今日では近づくのも不可能な記録を打ち立てている<ref>野崎正俊「アマデウスの使徒たち」現代芸術社</ref>。演技にすぐれていたため、歌手として現役のうちから『[[こうもり (オペレッタ)|こうもり]]』のフロッシュ、『[[ナクソス島のアリアドネ]]』執事長などの台詞役でも公演や録音に参加した。他に『こうもり』ではファルケやフランク、『[[コシ・ファン・トゥッテ]]』のグリエルモ、『[[ニュルンベルクのマイスタージンガー]]』のベックメッサーも得意とする。ドイツ学生歌やドイツ民謡の録音も多く残した。[[1959年]]にウィーン国立歌劇場員公演の際に来日した。 |
'''エーリッヒ・クンツ'''('''Erich Kunz''', [[1909年]]5月20日 - [[1995年]]9月8日)は[[ウィーン]]生まれの[[オペラ]]歌手。喜劇的な[[バリトン]]役を得意とし、特にモーツァルトにかけては絶対不動の地位を占め続けた。[[ウィーン国立歌劇場]]には1940年から所属しているが、同劇場の戦後分だけで、フィガロ249回、パパゲーノ338回、レポレロ211回という、今日では近づくのも不可能な記録を打ち立てている<ref>野崎正俊「アマデウスの使徒たち」現代芸術社</ref>。演技にすぐれていたため、歌手として現役のうちから『[[こうもり (オペレッタ)|こうもり]]』のフロッシュ、『[[ナクソス島のアリアドネ]]』執事長などの台詞役でも公演や録音に参加した。他に『こうもり』ではファルケやフランク、『[[コシ・ファン・トゥッテ]]』のグリエルモ、『[[ニュルンベルクのマイスタージンガー]]』のベックメッサーも得意とする。ドイツ学生歌やドイツ民謡の録音も多く残した。[[1959年]]に[[ウィーン国立歌劇場]]員公演の際に来日した。 |
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== 脚注 == |
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2013年11月24日 (日) 05:57時点における版
エーリッヒ・クンツ(Erich Kunz, 1909年5月20日 - 1995年9月8日)はウィーン生まれのオペラ歌手。喜劇的なバリトン役を得意とし、特にモーツァルトにかけては絶対不動の地位を占め続けた。ウィーン国立歌劇場には1940年から所属しているが、同劇場の戦後分だけで、フィガロ249回、パパゲーノ338回、レポレロ211回という、今日では近づくのも不可能な記録を打ち立てている[1]。演技にすぐれていたため、歌手として現役のうちから『こうもり』のフロッシュ、『ナクソス島のアリアドネ』執事長などの台詞役でも公演や録音に参加した。他に『こうもり』ではファルケやフランク、『コシ・ファン・トゥッテ』のグリエルモ、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』のベックメッサーも得意とする。ドイツ学生歌やドイツ民謡の録音も多く残した。1959年にウィーン国立歌劇場員公演の際に来日した。
脚注
- ^ 野崎正俊「アマデウスの使徒たち」現代芸術社