「馮習」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Addbot (会話 | 投稿記録)
m ボット: 言語間リンク 6 件をウィキデータ上の d:q1156929 に転記
13行目: 13行目:
[[Category:蜀漢の人物]]
[[Category:蜀漢の人物]]
[[Category:222年没]]
[[Category:222年没]]

[[ca:Feng Xi]]
[[en:Feng Xi]]
[[fr:Feng Xi]]
[[ko:풍습]]
[[sh:Feng Xi]]
[[zh:馮習]]

2013年3月18日 (月) 01:29時点における版

馮 習(ふう しゅう、? - 222年)は、中国後漢末期から三国時代の人で、蜀漢武将休元荊州南郡の人。

劉備と共に益州へ侵攻した。

221年夷陵の戦いでは、劉備から領軍将軍に任命され諸軍を指揮した。馮習は呉班とともに、将の李異劉阿らを打ち破った。222年、陸遜の反撃を受けて軍は大敗し、自身も乱戦の中で潘璋の部下に斬られた。

三国志蜀書楊戯伝』や『季漢輔臣賛』では、「蜀軍があのような惨めな大敗を喫したのは、馮習が呉軍を侮っていたためである」と、厳しく非難している。