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2012年[[ロンドンオリンピック (2012年)|ロンドンオリンピック]]では、アテネ大会以来2大会ぶりにセントクリストファー・ネイビス選手団の旗手を務めた。 |
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== 世界選手権・オリンピックでの結果 == |
== 世界選手権・オリンピックでの結果 == |
2012年7月28日 (土) 19:11時点における版
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選手情報 | |||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | キム・コリンズ | ||||||||||||||||||||||||||
国籍 | セントクリストファー・ネイビス | ||||||||||||||||||||||||||
種目 | 短距離走 | ||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1976年4月5日(48歳) | ||||||||||||||||||||||||||
身長 | 175 cm | ||||||||||||||||||||||||||
体重 | 67 kg | ||||||||||||||||||||||||||
自己ベスト | |||||||||||||||||||||||||||
100m | 9秒98 (2002年) | ||||||||||||||||||||||||||
200m | 20秒20 (2001年) | ||||||||||||||||||||||||||
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キム・コリンズ (Kim Collins、1976年4月5日 - )は、セントクリストファー・ネイビスの陸上競技選手である。2003年世界選手権男子100mの金メダリストである。
コリンズは、1997年の世界選手権でメジャーな大会にデビューしている。このときは1次予選で予選落ちした。その後、力をつけてゆき、2000年のシドニーオリンピックでは、決勝進出を果たし、7位入賞を果たした。
2001年は、世界選手権の200mにおいて20秒30を記録し、セントクリストファー・ネイビス初となる銅メダルを獲得した。2002年のコモンウェルスゲームズの100mで、9秒98で走り、メジャーな大会で初の金メダルを獲得した。しかし、レース後のドーピング検査で陽性と判定される。だが、これは彼が数年間摂取している薬に反応したものであり、彼が報告を怠っていただけということで失格とはならなかった。
2003年には、ついに世界選手権の100mで金メダルを獲得した。この大会は、準決勝で優勝候補のモーリス・グリーンが敗退するなど、波乱の展開であった。決勝は、0.02秒の間に上位4人がゴールするという接戦で、その接戦をコリンズが制し、セントクリストファー・ネイビス初となる世界選手権での金メダルを獲得した。
2004年のアテネオリンピックでは、セントクリストファー・ネイビス選手団の旗手を務め、前回大会の7位を上回る6位入賞を果たしている。2005年の世界選手権ではアメリカのジャスティン・ガトリン、ジャマイカのマイケル・フレイターに次いで3位に入り銅メダルを獲得。3大会連続の表彰台の栄誉に輝いた。
2009年9月、現役引退を発表したが[1][2]、体調良好を理由に2011年1月29日に現役復帰を果たした。
2011年の世界選手権では、ジャマイカのウサイン・ボルトがフライングで失格になる波乱の展開の中、3位に入り銅メダルを獲得。また、400mリレーでも3位に入り、この大会で2つの銅メダルを手にした。
2012年ロンドンオリンピックでは、アテネ大会以来2大会ぶりにセントクリストファー・ネイビス選手団の旗手を務めた。
世界選手権・オリンピックでの結果
年度 | 大会 | 種目 | 場所 | 記録 | 結果 |
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1997 | 世界選手権 | 100m | アテネ(ギリシャ) | 10.50 | 1次予選 |
1999 | 世界選手権 | 200m | セビリア(スペイン) | 21.73 | 1次予選 |
世界選手権 | 200m | 20.95 | 1次予選 | ||
2000 | オリンピック | 100m | シドニー(オーストラリア) | 10.17 | 7位 |
オリンピック | 200m | 20.57 | 準決勝 | ||
2001 | 世界選手権 | 100m | エドモントン(カナダ) | 10.07 | 5位 |
世界選手権 | 200m | 20.20 | 銅 | ||
2003 | 世界選手権 | 100m | パリ(フランス) | 10.07 | 金 |
2004 | オリンピック | 100m | アテネ(ギリシャ) | 10.00 | 6位 |
2005 | 世界選手権 | 100m | ヘルシンキ(フィンランド) | 10.05 | 銅 |
2007 | 世界選手権 | 100m | 大阪(日本) | 10.21 | 準決勝 |
2008 | オリンピック | 100m | 北京(中国) | 10.05 | 準決勝 |
オリンピック | 200m | 20.59 | 6位 | ||
2011 | 世界選手権 | 100m | テグ(韓国) | 10.09 | 銅 |
自己ベスト
- 100m - 9秒98 (2002年7月27日、2002年8月16日、2002年9月14日)
- 200m - 20秒20 (2001年8月9日)
脚注
- ^ Thanks For The Memories: Kim Collins Retires - Winn FM (St. Kitts Nevis) News. 2009年9月15日
- ^ Collins, 2003 World 100m champion, retires. - Raynor, Kayon (2009-09-29). IAAF
外部リンク
- キム・コリンズ - ワールドアスレティックスのプロフィール(英語)