「セイコーグループ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
概要と沿革を補足
編集の要約なし
1行目: 1行目:
{{基礎情報 会社|
社名 = セイコー株式会社<br /><small>Seiko Corp.</small>|
種類 = [[株式会社]] ([[東京証券取引所|東証]]:[http://company.nikkei.co.jp/index.cfm?scode=8050 8050])|
設立 = [[1917年]][[10月29日]]|
本社所在地 = [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[芝浦]]1-2-1 シーバンスN館|
関係する人物 = [[村野晃一]] (代表取締役社長)|
業種 = [[:Category:日本の精密機器業|精密機器業]]|
製品・サービス = [[時計]]|
売上高 = |
外部リンク = [http://www.seiko.co.jp/ www.seiko.co.jp]|
}}

'''セイコー'''は、'''セイコー株式会社'''(SEIKO CORPORATION
'''セイコー'''は、'''セイコー株式会社'''(SEIKO CORPORATION
)またはそのグループを指す。ブランド名は'''SEIKO'''を使用。
)またはそのグループを指す。ブランド名は'''SEIKO'''を使用。
21行目: 33行目:
*[[1881年]](明治14年)12月 服部金太郎が輸入時計を販売する服部時計店を創業した。
*[[1881年]](明治14年)12月 服部金太郎が輸入時計を販売する服部時計店を創業した。
*[[1892年]](明治25年)3月 時計工場である精工舎を設立し、国産クロックの製造を開始して、精工舎で製造した国産クロックの販売を服部時計店で始めた。
*[[1892年]](明治25年)3月 時計工場である精工舎を設立し、国産クロックの製造を開始して、精工舎で製造した国産クロックの販売を服部時計店で始めた。
*[[1917年]](大正6年)10月 会社組織に改め資本金500万円の株式会社服部時計店となる。
*[[1917年]](大正6年)[[1029日]] 会社組織に改め資本金500万円の株式会社服部時計店となる。
*[[1937]]年(昭和12年)9月 工場精工舎のウオッチ部門が分離独立し、株式会社第二精工舎(現在の[[セイコーインスツル]]株式会社)となる。
*[[1937]]年(昭和12年)9月 工場精工舎のウオッチ部門が分離独立し、株式会社第二精工舎(現在の[[セイコーインスツル]]株式会社)となる。
*[[1947年]](昭和22年)4月 小売部門を分離し、株式会社[[和光]]設立。
*[[1947年]](昭和22年)4月 小売部門を分離し、株式会社[[和光]]設立。

2006年1月23日 (月) 07:35時点における版

セイコー株式会社
Seiko Corp.
種類 株式会社東証:8050
本社所在地 東京都港区芝浦1-2-1 シーバンスN館
設立 1917年10月29日
業種 精密機器業
法人番号 9010001034797 ウィキデータを編集
事業内容 時計
関係する人物 村野晃一 (代表取締役社長)
外部リンク www.seiko.co.jp
テンプレートを表示

セイコーは、セイコー株式会社(SEIKO CORPORATION )またはそのグループを指す。ブランド名はSEIKOを使用。

日本初の腕時計、世界初のクオーツウオッチを開発し、現在も時計関連で有名であり、オリンピックなどの世界大会などで公式スポンサー、オフィシャルタイマーとしてたびたび参加している。

また、戦前・戦後から後楽園球場1937年-1987年)、東京ドーム1988年-)、明治神宮球場1980年-)と球場のスポンサーになったのを日切りに、スポーツ競技場のタイマーでもおなじみ。

2001年の「世界水泳福岡2001大会」で同社の自動計時システムが作動しない事故が頻発し、システムの信頼性を大きく損ねた。そのため、2004年のアテネオリンピックでは公式時計として採用はされなかった。

日本最初のCMは、日本テレビ開局の日の1953年8月28日に放映された精工舎の正午時報であるが、慣れていなかったためにフィルムを裏返しにしてしまい、3秒で中止になってしまった。ちなみに、同日の午後7時の時報は無事に放映された。

概要

  • 本店所在地
    • 登記上:東京都中央区銀座4-5-11
    • 実質上:東京都港区芝浦1-2-1シーバンスN館
  • 代表者 代表取締役社長 村野晃一
  • 資本金 10,000百万円(2005年3月31日現在)
  • 従業員数 連結:6,864人、単独:62人(2005年3月31日現在)

沿革

  • 1881年(明治14年)12月 服部金太郎が輸入時計を販売する服部時計店を創業した。
  • 1892年(明治25年)3月 時計工場である精工舎を設立し、国産クロックの製造を開始して、精工舎で製造した国産クロックの販売を服部時計店で始めた。
  • 1917年(大正6年)10月29日 会社組織に改め資本金500万円の株式会社服部時計店となる。
  • 1937年(昭和12年)9月 工場精工舎のウオッチ部門が分離独立し、株式会社第二精工舎(現在のセイコーインスツル株式会社)となる。
  • 1947年(昭和22年)4月 小売部門を分離し、株式会社和光設立。
  • 1949年(昭和24年)5月 東京証券取引所上場
  • 1959年(昭和34年)5月 株式会社第二精工舎の諏訪工場が分離独立し、株式会社諏訪精工舎(現在のセイコーエプソン株式会社)となる。
  • 1983年(昭和58年)8月 社名を株式会社服部セイコーとする。
  • 1997年(平成9年)7月 社名をセイコー株式会社とする。
  • 2001年(平成13年)7月 セイコーウオッチ株式会社を設立し、ウオッチ事業を分社。持株会社となる。事業子会社の「セイコーウォッチ」、「セイコークロック」、「セイコープレシジョン」、「セイコーオプティカルプロダクツ」等を統括している。

グループ会社

セイコーエプソンは「セイコー」を名乗っている。現在両者の関係はエプソンが時計の製造をしているほかは、内部ではセイコー幹部への待遇が別枠で設けており、親と子供のような関係である。

関連項目

外部リンク