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*[[1892年]](明治25年)3月 時計工場である精工舎を設立し、国産クロックの製造を開始して、精工舎で製造した国産クロックの販売を服部時計店で始めた。 |
*[[1892年]](明治25年)3月 時計工場である精工舎を設立し、国産クロックの製造を開始して、精工舎で製造した国産クロックの販売を服部時計店で始めた。 |
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*[[1917年]](大正6年)[[10月29日]] 会社組織に改め資本金500万円の株式会社服部時計店となる。 |
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*[[1937]]年(昭和12年)9月 工場精工舎のウオッチ部門が分離独立し、株式会社第二精工舎(現在の[[セイコーインスツル]]株式会社)となる。 |
*[[1937]]年(昭和12年)9月 工場精工舎のウオッチ部門が分離独立し、株式会社第二精工舎(現在の[[セイコーインスツル]]株式会社)となる。 |
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*[[1947年]](昭和22年)4月 小売部門を分離し、株式会社[[和光]]設立。 |
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2006年1月23日 (月) 07:35時点における版
種類 | 株式会社 (東証:8050) |
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本社所在地 | 東京都港区芝浦1-2-1 シーバンスN館 |
設立 | 1917年10月29日 |
業種 | 精密機器業 |
法人番号 | 9010001034797 |
事業内容 | 時計 |
関係する人物 | 村野晃一 (代表取締役社長) |
外部リンク | www.seiko.co.jp |
セイコーは、セイコー株式会社(SEIKO CORPORATION )またはそのグループを指す。ブランド名はSEIKOを使用。
日本初の腕時計、世界初のクオーツウオッチを開発し、現在も時計関連で有名であり、オリンピックなどの世界大会などで公式スポンサー、オフィシャルタイマーとしてたびたび参加している。
また、戦前・戦後から後楽園球場(1937年-1987年)、東京ドーム(1988年-)、明治神宮球場(1980年-)と球場のスポンサーになったのを日切りに、スポーツ競技場のタイマーでもおなじみ。
2001年の「世界水泳福岡2001大会」で同社の自動計時システムが作動しない事故が頻発し、システムの信頼性を大きく損ねた。そのため、2004年のアテネオリンピックでは公式時計として採用はされなかった。
日本最初のCMは、日本テレビ開局の日の1953年8月28日に放映された精工舎の正午の時報であるが、慣れていなかったためにフィルムを裏返しにしてしまい、3秒で中止になってしまった。ちなみに、同日の午後7時の時報は無事に放映された。
概要
- 本店所在地
- 登記上:東京都中央区銀座4-5-11
- 実質上:東京都港区芝浦1-2-1シーバンスN館
- 代表者 代表取締役社長 村野晃一
- 資本金 10,000百万円(2005年3月31日現在)
- 従業員数 連結:6,864人、単独:62人(2005年3月31日現在)
沿革
- 1881年(明治14年)12月 服部金太郎が輸入時計を販売する服部時計店を創業した。
- 1892年(明治25年)3月 時計工場である精工舎を設立し、国産クロックの製造を開始して、精工舎で製造した国産クロックの販売を服部時計店で始めた。
- 1917年(大正6年)10月29日 会社組織に改め資本金500万円の株式会社服部時計店となる。
- 1937年(昭和12年)9月 工場精工舎のウオッチ部門が分離独立し、株式会社第二精工舎(現在のセイコーインスツル株式会社)となる。
- 1947年(昭和22年)4月 小売部門を分離し、株式会社和光設立。
- 1949年(昭和24年)5月 東京証券取引所上場。
- 1959年(昭和34年)5月 株式会社第二精工舎の諏訪工場が分離独立し、株式会社諏訪精工舎(現在のセイコーエプソン株式会社)となる。
- 1983年(昭和58年)8月 社名を株式会社服部セイコーとする。
- 1997年(平成9年)7月 社名をセイコー株式会社とする。
- 2001年(平成13年)7月 セイコーウオッチ株式会社を設立し、ウオッチ事業を分社。持株会社となる。事業子会社の「セイコーウォッチ」、「セイコークロック」、「セイコープレシジョン」、「セイコーオプティカルプロダクツ」等を統括している。
グループ会社
セイコーエプソンは「セイコー」を名乗っている。現在両者の関係はエプソンが時計の製造をしているほかは、内部ではセイコー幹部への待遇が別枠で設けており、親と子供のような関係である。
関連項目
- ゆく年くる年 (全民放テレビ同時ネット、1956年~1988年まで提供)
- 和光 - 子会社。銀座の時計台ビルで有名。
- 後楽園球場
- 東京ドーム
- 明治神宮野球場
- セイコー・スペクトラム
- 007 ジェームズ・ボンドの秘密兵器として『007 ユア・アイズ・オンリー』や『007 オクトパシー』などに出てくる。