「カール・ムック」の版間の差分

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'''カール・ムック'''('''Karl Muck''', [[1859年]][[10月22日]] - [[1940年]][[3月3日]])は、[[ダルムシュタット]]に生まれ[[シュトゥットガルト]]に没した[[ドイツ]]人指揮者。
'''カール・ムック'''('''Karl Muck''', [[1859年]][[10月22日]] - [[1940年]][[3月3日]])は、[[ダルムシュタット]]に生まれ[[シュトゥットガルト]]に没した[[ドイツ]]人指揮者。


== 略歴 ==
== 略歴 ==
音楽一家に生まれる。当初は歴史を専攻、[[1880年]]、[[ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク|ハイデルベルク大学]]にて[[歴史学]]の博士号を取得、のちに[[ライプツィヒ音楽院]]に学び、[[ゲヴァントハウス管弦楽団]]のソリストとして音楽家に転身する。以降、[[チューリヒ歌劇場]]の合唱指揮者を皮切りに、[[第一次世界大戦]]前の一時期を除き、主にドイツ・オーストリア圏で活躍した。とくに[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]の権威として知られ、[[1901年]]から、主宰者[[ヴィニフレート・ワーグナー]]と訣別する[[1930年]]までのおよそ30年にわたって[[バイロイト音楽祭]]に客演し『[[パルジファル]]』の上演に携わった。20世紀前半を代表する[[指揮者]]の一人である

音楽一家に生まれる。当初は歴史を専攻、[[1880年]]、[[ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク|ハイデルベルク大学]]にて[[歴史学]]の博士号を取得、のちに[[ライプツィヒ音楽院]]に学び、[[ゲヴァントハウス管弦楽団]]のソリストとして音楽家に転身。以降、[[チューリヒ歌劇場]]の合唱指揮者を皮切りに、[[第一次世界大戦]]前の一時期を除き、主にドイツ・オーストリア圏で活躍。とくに[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]の権威として知られ、[[1901年]]から、主宰者[[ヴィニフレート・ワーグナー]]と訣別する[[1930年]]までのおよそ30年にわたって[[バイロイト音楽祭]]に客演し『[[パルジファル]]』の上演に携わった。20世紀前半を代表する[[指揮者]]の一人。


== 評価 ==
== 評価 ==

*"a very great master, whose reliability, maturity and selfless dedication are not equaled by any living artist." 『ムックは、その信頼度、円熟度、音楽に対する無私の献身において当今並び立つものがいない偉大なマエストロ。』([[アルトゥル・シュナーベル]])
*"a very great master, whose reliability, maturity and selfless dedication are not equaled by any living artist." 『ムックは、その信頼度、円熟度、音楽に対する無私の献身において当今並び立つものがいない偉大なマエストロ。』([[アルトゥル・シュナーベル]])
*"an ideal accompanist." 『理想の伴奏者。』([[イグナツィ・パデレフスキ]])
*"an ideal accompanist." 『理想の伴奏者。』([[イグナツィ・パデレフスキ]])
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== 録音 ==
== 録音 ==
ムックは[[グスタフ・マーラー]]よりも1歳年長であるが、いくつかの録音を遺している。

*[[ボストン交響楽団]]を指揮した[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]、[[エクトル・ベルリオーズ|ベルリオーズ]]、[[エルマンノ・ヴォルフ=フェラーリ|ヴォルフ=フェラーリ]]等の小品集。
ムックはグスタフ・マーラーよりも1歳年長であるが、いくつかの録音を遺している。
*[[シュターツカペレ・ベルリン|ベルリン国立歌劇場管弦楽団]]を指揮した[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]の管弦楽曲集。

*ベルリン国立歌劇場管弦楽団、[[バイロイト祝祭管弦楽団]]を指揮した『[[パルジファル]]』(抜粋)。
*ボストン交響楽団を指揮した[[チャイコフスキー]]、[[ベルリオーズ]]、[[エルマンノ・ヴォルフ=フェラーリ]]等の小品集。
*ベルリン国立歌劇場管弦楽団を指揮した[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]の管弦楽曲集。
*ベルリン国立歌劇場管弦楽団、バイロイト祝祭管弦楽団を指揮した舞台神聖祝典劇『パルジファル(抜粋)


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
*[[ハロルド・ショーンバーグ|Harold C. Schonberg]], ''The Great Conductors'' (NY: Simon and Schuster, 1967), ISBN 0671207350


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Harold C. Schonberg, ''The Great Conductors'' (NY: Simon and Schuster, 1967), ISBN 0671207350
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{{先代次代|<small>[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]<br>客演指揮者|1903 - 1906|[[ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世]](常任指揮者)|[[フェリックス・ワインガルトナー]](常任指揮者)</small>}}
{{先代次代|<small>[[ボストン交響楽団]]<br>音楽監督|1906 - 1908|[[ヴィルヘルム・ゲーリケ]]|[[マックス・フィードラー]]</small>}}
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2012年5月20日 (日) 08:18時点における版

カール・ムック
Karl Muck
基本情報
生誕 1859年10月22日
ドイツの旗 ドイツ帝国 ダルムシュタット
死没 (1940-03-03) 1940年3月3日(80歳没)
ナチス・ドイツの旗 ドイツ国 シュトゥットガルト
職業 指揮者

カール・ムックKarl Muck, 1859年10月22日 - 1940年3月3日)は、ダルムシュタットに生まれシュトゥットガルトに没したドイツ人指揮者。

略歴

音楽一家に生まれる。当初は歴史を専攻、1880年ハイデルベルク大学にて歴史学の博士号を取得、のちにライプツィヒ音楽院に学び、ゲヴァントハウス管弦楽団のソリストとして音楽家に転身する。以降、チューリヒ歌劇場の合唱指揮者を皮切りに、第一次世界大戦前の一時期を除き、主にドイツ・オーストリア圏で活躍した。とくにワーグナーの権威として知られ、1901年から、主宰者ヴィニフレート・ワーグナーと訣別する1930年までのおよそ30年にわたってバイロイト音楽祭に客演し、『パルジファル』の上演に携わった。20世紀前半を代表する指揮者の一人である。

評価

  • "a very great master, whose reliability, maturity and selfless dedication are not equaled by any living artist." 『ムックは、その信頼度、円熟度、音楽に対する無私の献身において当今並び立つものがいない偉大なマエストロ。』(アルトゥル・シュナーベル
  • "an ideal accompanist." 『理想の伴奏者。』(イグナツィ・パデレフスキ
  • "Though old enough to be part of generation known for taking liberties with the score and indulging in flexible tempos, he was by contrast disciplined and direct, less concerned with placing his personal stamp on a score than on demonstrating fidelity to the score and ceding a certain interpretive anonymity." 『ムックはスコアに対する放縦な解釈、恣意的なテンポの設定が当たり前だと考えられていた世代に属する指揮者だが、例外的に、わたくしを滅し、スコアに忠実であることを旨としていた。』(ハロルド・ショーンバーグ

録音

ムックはグスタフ・マーラーよりも1歳年長であるが、いくつかの録音を遺している。

参考文献

先代
グスタフ・マーラー
プラハ・ドイツ歌劇場
音楽監督
1891年 - 1892年
次代
レオ・ブレッヒ
先代
ヨーゼフ・ズーヒャー
ベルリン宮廷歌劇場
楽長・総監督
1892年 - 1912年
次代
リヒャルト・シュトラウス
先代
ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世(常任指揮者)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
客演指揮者
1903年 - 1906年
次代
フェリックス・ワインガルトナー(常任指揮者)
先代
ヴィルヘルム・ゲーリケ
ボストン交響楽団
音楽監督
1906年 - 1908年
次代
マックス・フィードラー
先代
マックス・フィードラー
ボストン交響楽団
音楽監督
1912年 - 1918年
次代
アンリ・ラボー
先代
マックス・フィードラー
ハンブルク・フィルハーモニー協会
音楽監督
1922年 - 1933年
次代
オイゲン・ヨッフム