「シャルマネセル5世」の版間の差分

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2006年1月15日 (日) 15:54時点における版

シャルマネセル5世(Shalmaneser)(紀元前?年~紀元前722年、在位:紀元前727年~紀元前722年)は、新アッシリア王国時代のアッシリア王である。アッカド語ではシャルマヌ・アシャレド(Shulmanu asharid)と表記される。

来歴

ティグラト・ピレセル3世の子として生まれた。父王の治世にはジミッラ(zimirra)州の長官を務めていた。紀元前727年に王位を継ぐが、彼の王碑文が残っていない上に他の史料にも殆ど登場せず治世についての情報は少ない。

彼の治世中にサマリアで反乱が発生した。そして紀元前722年にサマリアを占領した事が旧約聖書列王記に記録されている。しかし同年遠征から帰還する前に死去し、兄弟のサルゴン2世が恐らく王位継承の争いの末に王座を継いだ。

なお、彼はアラム語等で残された一部の史料ではウラルユと言う名前で記載されている。これは「エルルの月に生まれた」]と言う意味の名前であり、王位継承前の彼の名前であった可能性がある。