「アフォンソ2世 (ポルトガル王)」の版間の差分
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[[1211年]]、ポルトガル史上初めて、[[コインブラ]]で[[コルテス (身分制議会)|コルテス(身分制議会)]]が開催され、貴族と聖職者の代表が参加した。 |
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[[1212年]]、[[ナバス・デ・トロサの戦い]]で、キリスト教国連合軍は[[ムワッヒド朝]]軍に大勝した。この結果、[[アルガルヴェ]]のイスラム政権の脅威が弱まり、[[セトゥバル]]と[[アルカセール・ド・サル]]を獲得した(但し、アフォンソ2世は参戦しておらず、実際は配下のポルトガル軍が参戦していた)。 |
[[1212年]]、[[ナバス・デ・トローサの戦い]]で、キリスト教国連合軍は[[ムワッヒド朝]]軍に大勝した。この結果、[[アルガルヴェ]]のイスラム政権の脅威が弱まり、[[セトゥバル]]と[[アルカセール・ド・サル]]を獲得した(但し、アフォンソ2世は参戦しておらず、実際は配下のポルトガル軍が参戦していた)。 |
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この時代、[[レコンキスタ]]で領土が拡大し、労働力不足が生じて下層農民階級の流動性が促進された結果、[[農奴]]が消滅した。 |
この時代、[[レコンキスタ]]で領土が拡大し、労働力不足が生じて下層農民階級の流動性が促進された結果、[[農奴]]が消滅した。 |
2012年2月15日 (水) 10:56時点における版
アフォンソ2世(Afonso II、1185年4月23日 - 1223年3月25日)は第3代ポルトガル王(在位:1211年 - 1223年)。サンシュ1世と王妃ドゥルセ・ベレンゲル・デ・バルセロナの子。
1211年、ポルトガル史上初めて、コインブラでコルテス(身分制議会)が開催され、貴族と聖職者の代表が参加した。
1212年、ナバス・デ・トローサの戦いで、キリスト教国連合軍はムワッヒド朝軍に大勝した。この結果、アルガルヴェのイスラム政権の脅威が弱まり、セトゥバルとアルカセール・ド・サルを獲得した(但し、アフォンソ2世は参戦しておらず、実際は配下のポルトガル軍が参戦していた)。
この時代、レコンキスタで領土が拡大し、労働力不足が生じて下層農民階級の流動性が促進された結果、農奴が消滅した。
1208年にカスティーリャ王女ウラカと結婚し、4男1女をもうけた。
- サンシュ2世(1207年 - 1248年) - ポルトガル王
- アフォンソ3世(1210年 - 1279年) - ポルトガル王
- レオノール(1211年 - 1231年) - デンマーク王ヴァルデマー2世の王子ヴァルデマーと結婚
- フェルナンド(1217年頃 - 1243年頃) - セルパ領主
- ヴィセンテ(1219年)
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