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2011年1月23日 (日) 15:44時点における版
黒川 道祐(くろかわ どうゆう、1623年(元和9年) - 1691年12月23日(元禄4年11月4日))は、江戸時代初期の医者であり、歴史家である。
人物
道祐は字であり、名は玄逸、号に静庵、遠碧軒などがある。林羅山より儒学を学んだ。父と同じく安芸国の浅野家へ家禄400石で儒医として仕えた。職を辞した後、洛中に住して、本草家の貝原益軒と交友した。主著として医学史書の『本朝医考』と、山城国の地誌である『雍州府志』などがある。
家族
- 父:黒川光信(法眼)儒医、広島藩浅野光晟侯典医、林道春門人
- 母:堀杏庵の女
- 本人:黒川道祐
- 妻:武田信成(江戸期の医師)の女[1]
- 長男:武田信郷(叔安)河窪武田家を継ぐ
- 13代目当主:黒川祐介(タナシン電機株式会社副社長、株式会社タカキタ役員を歴任)
- 長男:武田信郷(叔安)河窪武田家を継ぐ
著書
注釈
参考文献
- 大塚恭男による解説『黒川道祐』名著出版