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== 略歴 ==
== 略歴 ==
*[[1957年]](昭和32年)3月:[[防衛大学校]]卒業(1期)
*[[1957年]](昭和32年)3月:[[防衛大学校]]卒業(1期)
*[[1958年]](昭和33年)4月:三尉に昇進
*[[1960年]](昭和35年)2月:二尉に昇進
*[[1963年]](昭和38年)7月:一尉に昇進
*[[1968年]](昭和43年)7月:三佐に昇進
*[[1972年]](昭和47年)7月:二佐に昇進
*[[1974年]](昭和49年):護衛艦[[みくま (護衛艦)|みくま]]艦長
*[[1974年]](昭和49年):護衛艦[[みくま (護衛艦)|みくま]]艦長
*[[1977年]](昭和52年)1月:一佐に昇進
*[[1978年]](昭和53年)7月:三六護衛艦隊司令
*[[1979年]](昭和54年)2月:海上幕僚監部防衛課防衛班長
*[[1980年]](昭和55年)7月:自衛艦隊幕僚
*[[1981年]](昭和56年)12月:海上幕僚監部防衛課長
*[[1982年]](昭和57年)7月:将補に昇進
*[[1983年]](昭和58年)1月:海上幕僚監部防衛副部長
*[[1984年]](昭和59年)3月:[[第2護衛隊群]]司令
*[[1984年]](昭和59年)3月:[[第2護衛隊群]]司令
*[[1985年]](昭和60年)4月:海上幕僚監部防衛部長
*[[1985年]](昭和60年)4月:海上幕僚監部防衛部長
*[[1986年]](昭和61年)6月:[[海上自衛隊幹部学校]]長
*[[1986年]](昭和61年)6月:海将に昇進、[[海上自衛隊幹部学校]]長
*[[1988年]](昭和63年)7月:[[佐世保地方総監]]に就任
*[[1988年]](昭和63年)7月:[[佐世保地方総監]]に就任
*[[1989年]](平成元年)8月:第18代海上幕僚長に就任
*[[1989年]](平成元年)8月:第18代海上幕僚長に就任
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*[[1993年]](平成5年)6月:退官
*[[1993年]](平成5年)6月:退官
*[[2007年]](平成19年)4月29日:[[瑞宝重光章]]を受ける
*[[2007年]](平成19年)4月29日:[[瑞宝重光章]]を受ける

==関連書籍==
*佐久間一『国の守り 読売ぶっくれっと No.53』読売新聞東京本社、2006年2月
*佐久間一『佐久間一 オーラル・ヒストリー 上下』防衛省防衛研究所、2007年3月
*佐久間一『佐久間一(元統合幕僚会議議長)オーラルヒストリー 上下』近代日本史料研究会、2008年3月
*佐久間一編『武力戦の諸相 叢書日本の安全保障シリーズ6』内外出版、2008年6月


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2010年10月4日 (月) 00:47時点における版

佐久間 一
生誕 1935年3月18日
神奈川県
所属組織 海上自衛隊
軍歴 1957 - 1993
最終階級 統合幕僚会議議長たる海将
指揮 佐世保地方総監
第2護衛隊群司令
DE-217 みくま艦長
除隊後防衛庁顧問
NTT東日本特別参与
財団法人ディフェンスリサーチセンター理事
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佐久間 一(さくま まこと、1935年(昭和10年)3月18日 - )は、日本神奈川県出身の海上自衛官である。第18代海上幕僚長、第19代統合幕僚会議議長。三自衛隊史上初めての防衛大学校卒業の幕僚長でもある。

略歴

関連書籍

  • 佐久間一『国の守り 読売ぶっくれっと No.53』読売新聞東京本社、2006年2月
  • 佐久間一『佐久間一 オーラル・ヒストリー 上下』防衛省防衛研究所、2007年3月
  • 佐久間一『佐久間一(元統合幕僚会議議長)オーラルヒストリー 上下』近代日本史料研究会、2008年3月
  • 佐久間一編『武力戦の諸相 叢書日本の安全保障シリーズ6』内外出版、2008年6月
先代
寺島泰三
統合幕僚会議議長
第19代:1991年 - 1993年
次代
西元徹也
先代
東山収一郎
海上幕僚長
第18代:1989年 - 1991年
次代
岡部文雄