「ウガヤフキアエズ王朝」の版間の差分

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'''ウガヤフキアエズ王朝'''は、日本にあったという古代王朝であるが、通常は実在したとは考えられていない。
'''ウガヤフキアエズ王朝'''は、日本にあったという古代王朝であるが、通常は実在したとは考えられていない。



2010年9月29日 (水) 21:56時点における版

ウガヤフキアエズ王朝は、日本にあったという古代王朝であるが、通常は実在したとは考えられていない。

概説

ウエツフミ』『竹内文献』『九鬼文書』などの古史古伝に記載されている神武天皇以前の古代王朝で、ホオリ(火遠理命)の子ウガヤフキアエズ(鵜草葺不合命)が開いた王朝とされる。

ウガヤフキアエズは、『古事記』、『日本書紀』の中では、カムヤマトイハレビコ(神武天皇)の父とされている[1]。『ウエツフミ』、『竹内文献』、『九鬼文書』などの中では神武以前に何代か続いた王朝の始祖とされている。しかし、これらの文書の中でも天皇の数や王朝の継続期間は一致していない。そもそもこれらの文書は史料価値が認められておらず、ウガヤフキアエズ王朝とは近代以降に偽作された架空の王朝だとするのが妥当であるとされている。

具体的な内容は、『ウエツフミ』『竹内文献』によるウガヤ朝、『富士宮下古文書』によるウガヤ朝、『上代天皇紀』によるウガヤ朝と、大きく三系統にわかれる。『九鬼文書』には、ウガヤ朝についての詳細な記述はない。

本来は「ウガヤ朝」といっていた。『竹内文献』では「不合朝」(あえずちょう)とよび、『富士宮下古文書』では「宇家潤不二合須国世」(うがやふじあわすのくにのよ)などという。

「ウガヤ朝」という言葉を広めたのは吾郷清彦である。昔は、神話にでてくるニニギ・ホホデミ・ウガヤフキアエズの親子三代を、神武朝とか仁徳朝とか天武朝とか桓武朝などのような言葉と同じような意味でニニギ朝・ホホデミ朝・ウガヤフキアエズ朝といい、この三代をあわせて「高千穂三朝」(日向三代)といっていた。はじめ、吾郷清彦はこのようなつもりでウガヤフキアエズ朝を略して「ウガヤ朝」といっていた。これを「ウガヤ王朝」と書いたのは別の歴史本ライターである。

『ウエツフミ』・『竹内文献』におけるウガヤ朝

『ウエツフミ』『竹内文献』によれば、ウガヤ朝は72代続いたが、兄弟相続等もあるので世代数でいうと62世代。神武天皇とその兄・五瀬命は第62世代にあたる(ただしこれは女帝を経由して数えたもので男女混系での世代数。純粋に男系だけでたどると55世)。五瀬命も即位していて第72代(最終代)にあたる。48代と49代の間に、47代女帝が重祚しているがこれは代数に数えられておらず、摂政あつかいかと思われる。

  • ウガヤ朝の女帝

このうち19人は女帝である。女帝の配偶者は「ヨサチヲ(世幸男)」または「ヤサキヲ(弥幸男)」とよぶ。ちなみに皇太女(女性皇太子)の婿は「タトリヲ(手執男)」といい、皇太女が女帝になると「ヤサキヲ」に昇格する。しかし、独身の皇太女が即位にともなって、はじめてヤサキヲを迎える例の方が多い。また生涯独身ですごした女帝も少数だがいる。ヤサキヲは、必ず皇胤(男帝の男系子孫)であるため、女帝が数代連続するケースがあるが、男系でのつながりは途切れない(皇子か皇孫か皇曽孫か皇玄孫であるが皇孫が多い。玄孫だと途中に別の女帝のヤサキヲがいる場合もある)。ヤサキとは『ウエツフミ』における年齢階層制での最高位をさす言葉で、女帝の配偶をさす言葉としてはややおかしい。系図上の傍系継承をした場合に、その配偶となる直系女性を女帝と改変している可能性もある。

『富士宮下古文書』におけるウガヤ朝

『富士宮下古文書』によれば、ウガヤ朝は51代続いたとするが、五瀬命は皇太子のまま薨去し即位はしてはいないことになっており代数に数えられてない。また歴代すべて男帝であって女帝は存在しない。また歴代すべて単純な父子相続になっているが『富士宮下古文書』では皇統譜にかぎらずすべての系図にこの傾向があり、機械的につなげたにすぎまいと思われる。ウガヤ朝の天皇はすべて「神皇」、皇后は「神后」という用語を使っている。

代数に大きな食い違いがあるように見えるが、『ウエツフミ』『竹内文献』の第2代をとばして、第3代が『富士宮下古文書』の第2代に当たるとして順次ずらしていくと、『富士宮下古文書』の第50代(=『ウエツフミ』『竹内文献』の第51代)までは名前や山陵地や治世中の事件などがよく一致する。なので『ウエツフミ』『竹内文献』の第52代〜第70代が『富士宮下古文書』においては欠落しているらしい。そのあと『富士宮下古文書』の第51代が『ウエツフミ』『竹内文献』の第71代にあたる。ただし、『ウエツフミ』『竹内文献』における女帝はすべて一般の皇后にあたる「神后」に、「ヤサチヲ」は一般の天皇に該当する「神皇」に変更されている。

『上代天皇紀』におけるウガヤ朝

『上代天皇紀』のもので、これは代数が全部で72代であるという点が一致しているだけで他の内容(名前や山陵地など)はまったく別である。女帝もわずか数名のみで、これも食い違っている。

歴代の一覧

竹内文書より

1代 武鵜草葺不合身光天津日嗣天日天皇(ウガヤフキアエズ

2代 日高日子身光天日天皇軽島彦尊

3代 真白玉輝彦天日天皇

4代 玉噛尊天津日嗣天日天皇

5代 天地明成赤珠彦天日身光天皇

6代 石鉾歯並執楯天皇天日天皇身光天皇

7代 櫛豊媛尊天日身光媛天皇

8代 光徹笑勢媛天皇天日身光媛天皇

9代 千種媛天皇天日身光媛天皇

10代 千足媛天皇天日身光万国棟梁天皇

11代 禍斬剱彦天皇天日身光万国棟梁天皇

12代 弥広殿作天皇天日身光天皇

13代 豊明圀押彦天皇天日身光天皇

14代 火之進奇猿媛天皇天日身光天皇

15代 臼杵天皇天日身光天皇

16代 産門真幸天皇天日身光天皇

17代 表照明媛天皇天日身光天皇

18代 依細里媛天皇天日身光天皇

19代 少名形男彦天皇天日身光天皇

20代 天津明少名大汝彦天皇天日身光天皇

21代 天饒明立天皇天日身光天皇

22代 天押開神魂彦天皇天日身光天皇

23代 天饒国饒狭真都国足天皇天日身光天皇

24代 天饒国饒黒浜彦天皇天日身光天皇

25代 富秋足中置天皇天日身光天皇

26代 種浙彦天皇天日身光天皇

27代 建玉天皇天日身光天皇

28代 天之海童楽之雄天皇天日身光天皇

29代 神豊実媛天皇天日身光天皇

30代 円脊之男天皇天日身光天皇

31代 橘媛天皇天日身光天皇

32代 花撰媛天皇天日身光天皇

33代 清之宮媛天皇天日身光天皇

34代 八千尾亀之男天皇天日身光天皇

35代 花媛天皇天日身光天皇

36代 若照彦天皇天日身光天皇

37代 松照彦天皇 天日身光天皇

38代 天津太詞子天皇天日身光天皇

39代 神足伊足彦天皇天日身光天皇

40代 神楯媛天皇天日身光天皇

41代 神楯広幡八十足彦天皇天日身光天皇

42代 鶴舞媛天皇天日身光天皇

43代 豊足大御中天皇天日身光天皇

44代 大炊気吹天皇天日身光天皇

45代 空津争鳥天皇天日嗣天皇

46代 鳥言足清男天皇天日嗣天皇

47代 大庭足媛天皇天日嗣天皇

48代 豊津神足別天皇天日嗣天皇

49代 豊足彦天皇天日嗣天皇

50代 神足別国押之女天皇天日嗣天皇

51代 国押別神足日天皇天日嗣天皇

52代 天津紅之枝玉天皇天日嗣天皇

53代 天開明知国束天皇天日嗣天皇

54代 高天原輝徹国知天皇天日嗣天皇

55代 天津玉柏彦天皇天日嗣天皇

56代 天津成瀬男天皇天日嗣天皇

57代 天津照雄之男天皇天日嗣天皇

58代 御中主幸玉天皇天日嗣天皇

59代 天地明玉主照天皇 天日嗣天皇

60代 天照櫛豊媛天皇天日嗣天皇

61代 豊足日明媛天皇天日嗣天皇

62代 天豊足別彦天皇天日嗣天皇

63代 事代国守高彦尊天皇天日嗣天皇

64代 豊日豊足彦天皇天日嗣天皇

65代 勝勝雄之男天皇天日嗣天皇

66代 豊柏木幸手男彦天皇天日嗣天皇

67代 春建日媛天皇天日嗣天皇

68代 天津日高日子宗像彦天皇天日嗣天皇

69代 神足別豊耡天皇天日嗣天皇

70代 神心伝物部建天皇天日嗣天皇(ニギハヤヒ?)

71代 天照国照日子百日臼杵天皇天日嗣天皇

72代 彦五瀬天皇天日嗣天皇(五瀬命

73代 狭野尊天日嗣天皇(神武天皇

宮下文書より(歴代天皇 皇后摂政 皇太子)

1代 日子波瀲武言合命(ウガヤフキアエズ

2代 千穂高王命

3代 阿蘇豊玉王命

4代 不二田彦王命 佐田比女命

5代 佐津田王命

6代 津弥彦王命  櫛豊比女命

7代 阿知奈王命

8代 豊田彦王命

9代 宇摩子王命

10代 日野光王命  佐弥比女命

11代 太武王命    太加比女命

12代 武力男王命

13代 出見彦王命   彦瀬比女命

14代 万天子王命   太瀬比女命

15代 奈良田彦王命 屋根比女命

16代 佐彦王命   戸志比女命

17代 加目男王命  志毛比女命

18代 都留彦王命  摩津比女命

19代 多加彦王命  波奈比女命

20代 加佐田彦王命 奈加比女命

21代 登美田男王命 加仁比女命

22代 笠砂男王命

23代 津奈建王命

24代 久真佐彦王命

25代 宇佐彦王命  身奈比女命

26代 津田彦王命

27代 頭長男王命  多美比女命

28代 足長彦王命  多真明比女命

29代 手身武王命  明知桜比女命

30代 山守雄王命

31代 佐奈田男王命

32代 弥茂作彦王命

33代 田仲雄男王命

34代 貞仲雄王命

35代 田高彦王命  太留美比女命

36代 川上男王命  和仁比女命

37代 千利武王命  真佐比女命

38代 玉弥彦王命

39代 津加田彦王命 真江比女命

40代 川張雄王命

41代 禰利長男王命

42代 玉長彦王命

43代 波奈長王命

44代 照日彦王命  津波気比女命

45代 津気男王命

46代 種越彦王命  天佐比女命

47代 禰仲穂王命

48代 津加彦王命

49代 真加弥王命

50代 岩仲彦王命

51代 弥真都男王命 玉照比女命   五瀬王命(皇太子 五瀬命

52代 波限建神日本磐余彦火火出見天皇(神武天皇

  1. ^ 『日本書紀』ではカムヤマトイハレビコは天孫降臨から一百七十九萬二千四百七十餘歲(179万2470余年)の年月がたったと述べた。『倭姫命世紀』、『神祇譜伝図記』(ともに神道五部書のひとつ。偽書とされる。)ではウガヤフキアエズは83万6042年の治世とされる。