「アルブレヒト6世 (オーストリア大公)」の版間の差分
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2010年9月12日 (日) 08:14時点における版
アルブレヒト6世(Albrecht VI., 1418年12月12日 - 1463年12月2日)は、ハプスブルク家のオーストリア公、後に大公。オーストリア公エルンスト(鉄公)とその2番目の妻ツィンバルカ・マゾヴィエツカの息子で、神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の弟。
野心家であったアルブレヒトは、1463年に兄フリードリヒ3世が不在の間にウィーンで暴動を起こさせ、兄の妃エレオノーレと甥マクシミリアンを幽閉した。そして急遽帰還したフリードリヒ3世を城内に入れずに追い払った。しかし、程無くしてアルブレヒト6世は死去し、フリードリヒ3世はウィーンへ戻る事ができた。1452年に結婚したプファルツ選帝侯ルートヴィヒ3世の娘マテイルダとの間には子供が無かった為、所領はフリードリヒ3世が相続した。
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