「井上眞一 (バスケットボール)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
6行目: 6行目:
その後、守山中学校に異動、同校女子バスケットボール部で[[1980年]]より[[全国中学校バスケットボール大会|全中]]8連覇のうち6連覇まで導いた。
その後、守山中学校に異動、同校女子バスケットボール部で[[1980年]]より[[全国中学校バスケットボール大会|全中]]8連覇のうち6連覇まで導いた。


[[1986年]]、当時既に全国大会の常連となっていた名古屋短大附属高校(現・桜花学園高校)の監督にプロコーチとして就任。1年目で[[全国高等学校総合体育大会バスケットボール競技大会|インターハイ]]初優勝となり、以来インターハイ17回、[[全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会|ウィンターカップ]]17回、[[国民体育大会バスケットボール競技|国体]]15回の優勝を決めている。
[[1986年]]、当時既に全国大会で上位に進出していた名古屋短大附属高校(現・桜花学園高校)の監督にプロコーチとして就任。1年目で[[全国高等学校総合体育大会バスケットボール競技大会|インターハイ]]初優勝となり、以来インターハイ17回、[[全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会|ウィンターカップ]]17回、[[国民体育大会バスケットボール競技|国体]]15回の優勝を決めている。


一方、1988年から2001年までは、全日本ジュニア(現U-18)のヘッドコーチとして国際大会でも指揮を執っており、高校女子バスケの名将として君臨し続けている。
一方、1988年から2001年までは、全日本ジュニア(現U-18)のヘッドコーチとして国際大会でも指揮を執っており、高校女子バスケの名将として君臨し続けている。

2010年4月16日 (金) 13:02時点における版

井上 眞一(いのうえ しんいち、1946年10月5日 - )は、愛知県出身のバスケットボール指導者である。桜花学園高等学校バスケットボール部監督。

来歴

中村高校から早稲田大学に進み、卒業後は名古屋市の中学校に教員として赴任。

その後、守山中学校に異動、同校女子バスケットボール部で1980年より全中8連覇のうち6連覇まで導いた。

1986年、当時既に全国大会で上位に進出していた名古屋短大附属高校(現・桜花学園高校)の監督にプロコーチとして就任。1年目でインターハイ初優勝となり、以来インターハイ17回、ウィンターカップ17回、国体15回の優勝を決めている。

一方、1988年から2001年までは、全日本ジュニア(現U-18)のヘッドコーチとして国際大会でも指揮を執っており、高校女子バスケの名将として君臨し続けている。

関連項目