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2010年4月9日 (金) 12:34時点における版
喜連川 昭氏(きつれがわ あきうじ)は、江戸時代の大名。下野喜連川藩の第3代藩主。
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時代 | 江戸時代前期から中期 |
生誕 | 寛永19年10月24日(1642年12月15日) |
死没 | 正徳3年11月12日(1713年12月29日) |
別名 | 梅千代(幼名) |
戒名 | 令徳院殿孝山恭公大居士 |
官位 | 左馬頭、左兵衛督 |
藩 | 下野喜連川藩主 |
氏族 | 喜連川氏 |
父母 | 父:喜連川尊信、母:側室一色氏久の孫娘 |
兄弟 | 喜連川昭氏、喜連川氏信 |
妻 | 正室:桜井松平忠倶の養女(織田信勝の娘) ※忠倶の実の娘とも |
子 | 1男1女:菊千代、娘(喜連川氏春の正室) 養子:喜連川氏信、喜連川氏春 |
寛永19年(1642年)10月24日、第2代藩主・尊信の長男として生まれる。足利義昭で絶えた足利家を継承する者として昭氏と名乗った。慶安元年(1648年)、父の隠居により後を継ぐが、幼少のために父と後見人の榊原忠次(松平忠次)の補佐を受けた。正徳3年(1713年)11月12日に死去。享年72。
男児が早世したため、はじめ弟の氏信を養嗣子にしたが、早世したため、婿養子の氏春が後を継いだ。墓所は栃木県さくら市の龍光寺。