「ゲオルク (ブラウンシュヴァイク=カレンベルク公)」の版間の差分

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'''ゲオルク'''(Georg, [[1582年]][[11月17日]][[ツェレ]] - [[1641年]][[4月2日]][[ヒルデスハイム]])は[[ブラウンシュヴァイク=リューネブルク|ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公]]の1人で、[[カレンベルク侯領|カレンベルク侯]]。ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公[[ヴィルヘルム・デア・ユンゲレ (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)|ヴィルヘルム]]と妃ドロテア([[デンマーク]]と[[ノルウェー]]の王[[クリスチャン3世 (デンマーク王)|クリスチャン3世]]と王妃[[ドロテア・フォン・ザクセン=ラウエンブルク|ドロテア]]の娘)の息子。


1635年に[[ヴェルフ家]]の所領の分割で、ゲオルクは[[カレンベルク侯領]]と[[ゲッティンゲン侯領]]を与えられた。ゲオルクは住まいを[[ハノーファー]]へ移した最初の公である。死後はクリスティアン・ルートヴィヒが継承者となった。
[[1635年]]に[[ヴェルフ家]]の所領の分割で、ゲオルクは[[カレンベルク侯領]]と[[ゲッティンゲン侯領]]を与えられた(ヴォルフォンビュッテル侯領は[[いとこ|従兄]]の[[アウグスト2世 (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公)|アウグスト2世]]が相続)。ゲオルクは住まいを[[ハノーファー]]へ移した最初の公である。死後は長男のクリスティアン・ルートヴィヒが継承者となった。


1617年に[[ヘッセン=ダルムシュタット方伯]][[ルートヴィヒ5世 (ヘッセン=ダルムシュタット方伯)|ルートヴィヒ5世]]の娘アンナ・エレオノーレと結婚した。生まれた子のうち成人に達したのは5人である。
1617年に[[ヘッセン=ダルムシュタット方伯]][[ルートヴィヒ5世 (ヘッセン=ダルムシュタット方伯)|ルートヴィヒ5世]]の娘アンナ・エレオノーレと結婚した。生まれた子のうち成人に達したのは5人である。
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*[[ゲオルク・ヴィルヘルム (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)|ゲオルク・ヴィルヘルム]](1624年 - 1705年)
*[[ゲオルク・ヴィルヘルム (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)|ゲオルク・ヴィルヘルム]](1624年 - 1705年)
*[[ヨハン・フリードリヒ (ブラウンシュヴァイク=カレンベルク公)|ヨハン・フリードリヒ]](1625年 - 1679年)
*[[ヨハン・フリードリヒ (ブラウンシュヴァイク=カレンベルク公)|ヨハン・フリードリヒ]](1625年 - 1679年)
*[[ゾフィー・アマーリエ・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク|ゾフィー・アマーリエ]](1628年 - 1685年) デンマーク王[[フレデリク3世 (デンマーク王)|フレデリク3世]]妃
*[[ゾフィー・アマーリエ・フォン・ブラウンシュヴァイク=カレンベルク|ゾフィー・アマーリエ]](1628年 - 1685年) - デンマーク・ノルウェー王[[フレデリク3世 (デンマーク王)|フレデリク3世]]妃
*[[エルンスト・アウグスト (ハノーファー選帝侯)|エルンスト・アウグスト]](1629年 - 1698年) [[ハノーファー王国|ハノーファー選帝侯]]
*[[エルンスト・アウグスト (ハノーファー選帝侯)|エルンスト・アウグスト]](1629年 - 1698年) - [[ハノーファー王国|ハノーファー選帝侯]]


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2010年3月29日 (月) 12:57時点における版

ゲオルク

ゲオルク(Georg, 1582年11月17日ツェレ - 1641年4月2日ヒルデスハイム)はブラウンシュヴァイク=リューネブルク公の1人で、カレンベルク侯。ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公ヴィルヘルムと妃ドロテア(デンマークノルウェーの王クリスチャン3世と王妃ドロテアの娘)の息子。

1635年ヴェルフ家の所領の分割で、ゲオルクはカレンベルク侯領ゲッティンゲン侯領を与えられた(ヴォルフォンビュッテル侯領は従兄アウグスト2世が相続)。ゲオルクは住まいをハノーファーへ移した最初の公である。死後は長男のクリスティアン・ルートヴィヒが継承者となった。

1617年にヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ5世の娘アンナ・エレオノーレと結婚した。生まれた子のうち成人に達したのは5人である。

爵位・家督
先代
フリードリヒ・ウルリヒ
カレンベルク侯
1634年 - 1641年
次代
クリスティアン・ルートヴィヒ