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'''クリック'''('''The Kliq'''または'''Clique''')とは、1990年代半ばの[[WWE|WWF]]のバックステージでのレスラーたちのグループの名称。このグループは、ブッキング上で(試合の日程や勝ち負けの決定など)大きな力を持ち、グループ以外の人間に公正ではなかったと一部では言われている。
'''クリック'''('''The Kliq'''または'''Clique''')とは、1990年代半ばの[[WWE|WWF]]のバックステージでのレスラーたちのグループの名称。このグループは、ブッキング上で(試合の日程や勝ち負けの決定など)大きな力を持ち、グループ以外の人間に公正ではなかったと一部では言われている。


グループのメンバーは、[[ショーン・マイケルズ]]、[[ケビン・ナッシュ]]、[[スコット・ホール]]、[[ショーン・ウォルトマン]]、そして[[トリプルH|ポール・レベスク]]であった。1996年、クリックは「カーテンコール」と呼ばれる、[[マディソン・スクエア・ガーデン]]での[[ハウスショー]]で起こった、リング上のキャラクター破りの事件で知られている。この事件によって、次に続くWWFのストーリーラインの展開に影響を与えてしまった。
グループのメンバーは、[[ショーン・マイケルズ]]、[[ケビン・ナッシュ]]、[[スコット・ホール]]、[[ショーン・ウォルトマン]]、そして[[トリプルH|ポール・レヴェック]]であった。1996年、クリックは「カーテンコール」と呼ばれる、[[マディソン・スクエア・ガーデン]]での[[ハウスショー]]で起こった、リング上のキャラクター破りの事件で知られている。この事件によって、次に続くWWFのストーリーラインの展開に影響を与えてしまった。


また、クリックはWWFの[[D-ジェネレーションX]]、WCWの[[nWo]]という、プロレス史に残る二つのヒールユニットのきっかけにもなった。
また、クリックはWWFの[[D-ジェネレーションX]]、WCWの[[nWo]]という、プロレス史に残る二つのヒールユニットのきっかけにもなった。


==WWFでの結成まで==
==WWFでの結成まで==
クリックとは、実生活での友人であったショーン・マイケルズ、ケビン・ナッシュ、スコット・ホール、ショーン・ウォルトマン ("1-2-3キッド"、またはX-パック)、ポール・レベスク (ハンター・ハースト・ヘルムスリー、のちにトリプルH)の5人で構成された。1995年までには、彼らはWWF内部でブッキング上大きな力を持つようになっていた<ref name=sd>{{cite web|url=http://www.wrestleview.com/faq/?style=dark&article=shanedouglas|title=FAQ: Shane Douglas|publisher=WrestleView.com|accessdate=2008-08-15}}</ref>。ジャスティン・クレディブルもまた彼らの親友で、時々メンバーの一員に加えられた。マイケルズによると"クリック"という名前はもともと[[レックス・ルーガー]]が付けたもので、バックステージでの5人の仲間の親密さから付けられた (cliqueで徒党という意味)<ref name=hbk-p206>{{cite book|title=Heartbreak & Triumph: The Shawn Michaels Story|first=Shawn|last=Michaels|authorlink=Shawn Michaels|coauthors=Feigenbaum, Aaron|isbn=1-4165-2645-5|publisher=[[Simon & Schuster]]|origmonth=November|origyear=2006|page=206}}</ref>。ビンス・ルッソーの提案で、マイケルズは彼のファンを「クリック(Kliq)」と呼び始めたが<ref name=hbk-p230>{{cite book|title=Heartbreak & Triumph: The Shawn Michaels Story|first=Shawn|last=Michaels|authorlink=Shawn Michaels|coauthors=Feigenbaum, Aaron|isbn=1-4165-2645-5|publisher=[[Simon & Schuster]]|origmonth=November|origyear=2006|page=230}}</ref>、彼はこのアイデアを嫌い、ファンの間ではそれほど流行らなかったという<ref name=hbk-p230/>。
クリックとは、実生活での友人であったショーン・マイケルズ、ケビン・ナッシュ、スコット・ホール、ショーン・ウォルトマン ("1-2-3キッド"、またはX-パック)、ポール・レヴェック (ハンター・ハースト・ヘルムスリー、のちにトリプルH)の5人で構成された。1995年までには、彼らはWWF内部でブッキング上大きな力を持つようになっていた<ref name=sd>{{cite web|url=http://www.wrestleview.com/faq/?style=dark&article=shanedouglas|title=FAQ: Shane Douglas|publisher=WrestleView.com|accessdate=2008-08-15}}</ref>。ジャスティン・クレディブルもまた彼らの親友で、時々メンバーの一員に加えられた。マイケルズによると"クリック"という名前はもともと[[レックス・ルーガー]]が付けたもので、バックステージでの5人の仲間の親密さから付けられた (cliqueで徒党という意味)<ref name=hbk-p206>{{cite book|title=Heartbreak & Triumph: The Shawn Michaels Story|first=Shawn|last=Michaels|authorlink=Shawn Michaels|coauthors=Feigenbaum, Aaron|isbn=1-4165-2645-5|publisher=[[Simon & Schuster]]|origmonth=November|origyear=2006|page=206}}</ref>。ビンス・ルッソーの提案で、マイケルズは彼のファンを「クリック(Kliq)」と呼び始めたが<ref name=hbk-p230>{{cite book|title=Heartbreak & Triumph: The Shawn Michaels Story|first=Shawn|last=Michaels|authorlink=Shawn Michaels|coauthors=Feigenbaum, Aaron|isbn=1-4165-2645-5|publisher=[[Simon & Schuster]]|origmonth=November|origyear=2006|page=230}}</ref>、彼はこのアイデアを嫌い、ファンの間ではそれほど流行らなかったという<ref name=hbk-p230/>。


1995年10月、 クリックは、『イン・ユア・ハウス4』興行の[[WWE・インターコンチネンタル王座]]戦で、シェイン・ダグラス(ディーン・ダグラス)をマイケルズに勝たせる決定に不満を持った<ref name=sd/>。しかし彼らは最終的に、マイケルズが本当に負けたと見えないように、ダグラスに失格により負けることで王座を失うことに決定した<ref name=sd/>。そのPPV興行で、ダグラスは失格により王座を奪ったのだが、その夜にクリックのメンバーであるスコット・ホール (レイザー・ラモン)に負けてしまう<ref name=sd/>。ダグラスはこの出来事で激怒し、会社を訴えると脅してライバル団体の[[ECW]]へと移籍した<ref name=sd/>。
1995年10月、 クリックは、『イン・ユア・ハウス4』興行の[[WWE・インターコンチネンタル王座]]戦で、シェイン・ダグラス(ディーン・ダグラス)をマイケルズに勝たせる決定に不満を持った<ref name=sd/>。しかし彼らは最終的に、マイケルズが本当に負けたと見えないように、ダグラスに失格により負けることで王座を失うことに決定した<ref name=sd/>。そのPPV興行で、ダグラスは失格により王座を奪ったのだが、その夜にクリックのメンバーであるスコット・ホール (レイザー・ラモン)に負けてしまう<ref name=sd/>。ダグラスはこの出来事で激怒し、会社を訴えると脅してライバル団体の[[ECW]]へと移籍した<ref name=sd/>。
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==カーテンコール==
==カーテンコール==


クリックについて語られることで最も多いのが"カーテンコール事件"である。1996年5月19日、MSGでの興行で、ウォルトマンを除くクリックのメンバー全員が関わった<ref name=moon156>{{cite book|title=Sex, Lies, and Headlocks: The Real Story of Vince McMahon and World Wrestling Entertainment|first=Shaun|last=Assael|coauthors=Mooneyham, Mike|publisher=[[Crown Publishing Group|Crown]]|date=2002|isbn=1400051436|page=156}}</ref>。この事件当時、ホールとナッシュはWWFを離れてライバル団体のWCWに移ろうとしていた<ref name=hbk-p226>{{cite book|title=Heartbreak & Triumph: The Shawn Michaels Story|first=Shawn|last=Michaels|authorlink = Shawn Michaels|coauthors=Feigenbaum, Aaron|isbn=1-4165-2645-5|publisher=[[Simon & Schuster]]|origmonth=November|origyear=2006|pages=226–228}}</ref>。この日のメインイベントで、ベビーフェイスのマイケルズは、ナッシュ(悪役"ディーゼル"として)とのケージマッチを戦った<ref name=moon156/>。試合が終わるとすぐに、リングに上がったホールはマイケルズを抱擁した。ここまでは、両者ともにベビーフェイスであったため問題がなかった。そらその後、アンダーカードで悪役として対戦していたレベスクが抱擁に加わった。結局は敗れてマットに倒れていたナッシュも加わり、4人で観客に対して"カーテンコール"をした<ref name=moon156/><ref name=hbk-p226/>。
クリックについて語られることで最も多いのが"カーテンコール事件"である。1996年5月19日、MSGでの興行で、ウォルトマンを除くクリックのメンバー全員が関わった<ref name=moon156>{{cite book|title=Sex, Lies, and Headlocks: The Real Story of Vince McMahon and World Wrestling Entertainment|first=Shaun|last=Assael|coauthors=Mooneyham, Mike|publisher=[[Crown Publishing Group|Crown]]|date=2002|isbn=1400051436|page=156}}</ref>。この事件当時、ホールとナッシュはWWFを離れてライバル団体のWCWに移ろうとしていた<ref name=hbk-p226>{{cite book|title=Heartbreak & Triumph: The Shawn Michaels Story|first=Shawn|last=Michaels|authorlink = Shawn Michaels|coauthors=Feigenbaum, Aaron|isbn=1-4165-2645-5|publisher=[[Simon & Schuster]]|origmonth=November|origyear=2006|pages=226–228}}</ref>。この日のメインイベントで、ベビーフェイスのマイケルズは、ナッシュ(悪役"ディーゼル"として)とのケージマッチを戦った<ref name=moon156/>。試合が終わるとすぐに、リングに上がったホールはマイケルズを抱擁した。ここまでは、両者ともにベビーフェイスであったため問題がなかった。そらその後、アンダーカードで悪役として対戦していたレヴェックが抱擁に加わった。結局は敗れてマットに倒れていたナッシュも加わり、4人で観客に対して"カーテンコール"をした<ref name=moon156/><ref name=hbk-p226/>。


彼らのカーテンコールの行動は、当時、ベビーフェイスとヒールの関係は現実のもので彼らはリングの外においても友人ではないという幻想を維持したいと考えていたWWF経営陣を憤慨させた<ref name=moon157>{{cite book|title=Sex, Lies, and Headlocks: The Real Story of Vince McMahon and World Wrestling Entertainment|first=Shaun|last=Assael|coauthors=Mooneyham, Mike|publisher=[[Crown Publishing Group|Crown]]|date=2002|isbn=1400051436|page=157}}</ref>。さらにWWF経営陣は、この興行をカメラで撮影していたファンがいたことを予期していなかった。この撮影したテープは、翌年の1997年10月6日の[[WWE・ロウ|ロウ・イズ・ウォー]]で、マイケルズとヘルムスリーが、[[ビンス・マクマホン]]を怒らせる意図でストーリーライン上で使用された<ref name=toa-oct6-97>{{cite web|first=John|last=Petrie|title=Monday Night Raw: October 6, 1997|publisher=The Other Arena|url=http://otherarena.com/htm/cgi-bin/history.cgi?1997/raw100697|archiveurl=http://web.archive.org/web/20030610164804/http://otherarena.com/htm/cgi-bin/history.cgi?1997/raw100697|archivedate=2003-06-10|accessdate=2008-08-07}}</ref>。マイケルズは当時WWF王者で、団体のトップスターの一人であったために、罰せられなかった<ref name=hbk-p226/>。ホールとナッシュはすぐにWCWに去ったため、残ったレベスク一人だけに罰が下され、メインイベントのタイトルマッチを外されて前座の試合でジョバー役を回されるようになった<ref name=time>{{cite video|title=It's Our Time|people=[[Triple H|Levesque, Paul]]; [[Chyna|Laurer, Joanie]]|date2=1999-11-23|medium=[[VHS]]|url=http://www.amazon.com/WWE-Its-Time-Beau-Billingslea/dp/B00002EPGA/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=video&qid=1218479701&sr=1-1|accessdate=2008-08-11|publisher=[[World Wrestling Entertainment|World Wrestling Federation]]}}</ref>。しかし彼は、この5ヶ月後にはWWF・IC王座を手に入れる。
彼らのカーテンコールの行動は、当時、ベビーフェイスとヒールの関係は現実のもので彼らはリングの外においても友人ではないという幻想を維持したいと考えていたWWF経営陣を憤慨させた<ref name=moon157>{{cite book|title=Sex, Lies, and Headlocks: The Real Story of Vince McMahon and World Wrestling Entertainment|first=Shaun|last=Assael|coauthors=Mooneyham, Mike|publisher=[[Crown Publishing Group|Crown]]|date=2002|isbn=1400051436|page=157}}</ref>。さらにWWF経営陣は、この興行をカメラで撮影していたファンがいたことを予期していなかった。この撮影したテープは、翌年の1997年10月6日の[[WWE・ロウ|ロウ・イズ・ウォー]]で、マイケルズとヘルムスリーが、[[ビンス・マクマホン]]を怒らせる意図でストーリーライン上で使用された<ref name=toa-oct6-97>{{cite web|first=John|last=Petrie|title=Monday Night Raw: October 6, 1997|publisher=The Other Arena|url=http://otherarena.com/htm/cgi-bin/history.cgi?1997/raw100697|archiveurl=http://web.archive.org/web/20030610164804/http://otherarena.com/htm/cgi-bin/history.cgi?1997/raw100697|archivedate=2003-06-10|accessdate=2008-08-07}}</ref>。マイケルズは当時WWF王者で、団体のトップスターの一人であったために、罰せられなかった<ref name=hbk-p226/>。ホールとナッシュはすぐにWCWに去ったため、残ったレヴェック一人だけに罰が下され、メインイベントのタイトルマッチを外されて前座の試合でジョバー役を回されるようになった<ref name=time>{{cite video|title=It's Our Time|people=[[Triple H|Levesque, Paul]]; [[Chyna|Laurer, Joanie]]|date2=1999-11-23|medium=[[VHS]]|url=http://www.amazon.com/WWE-Its-Time-Beau-Billingslea/dp/B00002EPGA/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=video&qid=1218479701&sr=1-1|accessdate=2008-08-11|publisher=[[World Wrestling Entertainment|World Wrestling Federation]]}}</ref>。しかし彼は、この5ヶ月後にはWWF・IC王座を手に入れる。


彼がアンダーカードに回された罰は、WWFの将来に大きなインパクトを持つものに変わった。"MSG事件"の前、 レベスクは1996年夏の[[キング・オブ・ザ・リング|KORトーナメント]]の決勝戦にブックされていたが、彼のボジションは[[ストーン・コールド・スティーブ・オースチン|スティーブ・オースチン]]に代わった。最終的にこのタイトルをオースチンが勝ち取り、この時に生まれた「オースチン伝3章16節」というフレーズとともに、オースチンの快進撃が始まり<ref name=hbk-p226/><ref name=moon157/>、最終的にWCWとのマンデー・ナイト・ウォーズでの勝利に与することとなった。
彼がアンダーカードに回された罰は、WWFの将来に大きなインパクトを持つものに変わった。"MSG事件"の前、 レベスクは1996年夏の[[キング・オブ・ザ・リング|KORトーナメント]]の決勝戦にブックされていたが、彼のボジションは[[ストーン・コールド・スティーブ・オースチン|スティーブ・オースチン]]に代わった。最終的にこのタイトルをオースチンが勝ち取り、この時に生まれた「オースチン伝3章16節」というフレーズとともに、オースチンの快進撃が始まり<ref name=hbk-p226/><ref name=moon157/>、最終的にWCWとのマンデー・ナイト・ウォーズでの勝利に与することとなった。
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ホールとナッシュがWCWに移籍した後、二人は[[ハルク・ホーガン]]とともにnWoを結成。遅れてウォルトマンもWCWに移籍し、やはりnWoに加入した。多くのファンはケビン・ナッシュがWCWでもブッキングで勢力を持ち、自分の価値を上げようとしているのではないかと疑惑を持った。その疑惑は、連勝中の[[ゴールドバーグ]]に勝利してWCW王座を奪ったこと、さらに「[[フィンガーポーク・オブ・ドゥーム]]」の事件でさらに深まる。しかしナッシュ自身は、これらの事件に関わるほどブッキングの力は当時持っていなかったと主張している<ref>{{cite video|title=Shoot with Kevin Nash|url=http://www.rfvideo.com/index.asp?PageAction=VIEWPROD&ProdID=3342|people=[[Kevin Nash|Nash, Kevin]]|medium=[[DVD]]|accessdate=2008-08-18|publisher=[[Rob Feinstein|RF Video]]}}</ref>。
ホールとナッシュがWCWに移籍した後、二人は[[ハルク・ホーガン]]とともにnWoを結成。遅れてウォルトマンもWCWに移籍し、やはりnWoに加入した。多くのファンはケビン・ナッシュがWCWでもブッキングで勢力を持ち、自分の価値を上げようとしているのではないかと疑惑を持った。その疑惑は、連勝中の[[ゴールドバーグ]]に勝利してWCW王座を奪ったこと、さらに「[[フィンガーポーク・オブ・ドゥーム]]」の事件でさらに深まる。しかしナッシュ自身は、これらの事件に関わるほどブッキングの力は当時持っていなかったと主張している<ref>{{cite video|title=Shoot with Kevin Nash|url=http://www.rfvideo.com/index.asp?PageAction=VIEWPROD&ProdID=3342|people=[[Kevin Nash|Nash, Kevin]]|medium=[[DVD]]|accessdate=2008-08-18|publisher=[[Rob Feinstein|RF Video]]}}</ref>。


一方で、レベスクとマイケルズは、[[ジョーニー・ローラー|チャイナ]]、[[リック・ルード]]と共にWWFでD-ジェネレーションXを結成<ref name=time/>。後の1998年にショーン・ウォルトマンはWWFに復帰し、X-パックと名乗ってDXに加入した。
一方で、レヴェックとマイケルズは、[[ジョーニー・ローラー|チャイナ]]、[[リック・ルード]]と共にWWFでD-ジェネレーションXを結成<ref name=time/>。後の1998年にショーン・ウォルトマンはWWFに復帰し、X-パックと名乗ってDXに加入した。


nWoの手のサイン"ウルフヘッド"は、もともとWWFのクリックのメンバー内で使われていたものを、ホールとナッシュがnWoに取り入れた<ref name=circus>{{cite book|title=Wrestling's One Ring Circus|first=Scott|last=Keith|isbn=080652619X|publisher=[[Citadel Press]]|origyear=2004|page=31}}</ref>。
nWoの手のサイン"ウルフヘッド"は、もともとWWFのクリックのメンバー内で使われていたものを、ホールとナッシュがnWoに取り入れた<ref name=circus>{{cite book|title=Wrestling's One Ring Circus|first=Scott|last=Keith|isbn=080652619X|publisher=[[Citadel Press]]|origyear=2004|page=31}}</ref>。

2009年10月17日 (土) 04:32時点における版

クリック(The KliqまたはClique)とは、1990年代半ばのWWFのバックステージでのレスラーたちのグループの名称。このグループは、ブッキング上で(試合の日程や勝ち負けの決定など)大きな力を持ち、グループ以外の人間に公正ではなかったと一部では言われている。

グループのメンバーは、ショーン・マイケルズケビン・ナッシュスコット・ホールショーン・ウォルトマン、そしてポール・レヴェックであった。1996年、クリックは「カーテンコール」と呼ばれる、マディソン・スクエア・ガーデンでのハウスショーで起こった、リング上のキャラクター破りの事件で知られている。この事件によって、次に続くWWFのストーリーラインの展開に影響を与えてしまった。

また、クリックはWWFのD-ジェネレーションX、WCWのnWoという、プロレス史に残る二つのヒールユニットのきっかけにもなった。

WWFでの結成まで

クリックとは、実生活での友人であったショーン・マイケルズ、ケビン・ナッシュ、スコット・ホール、ショーン・ウォルトマン ("1-2-3キッド"、またはX-パック)、ポール・レヴェック (ハンター・ハースト・ヘルムスリー、のちにトリプルH)の5人で構成された。1995年までには、彼らはWWF内部でブッキング上大きな力を持つようになっていた[1]。ジャスティン・クレディブルもまた彼らの親友で、時々メンバーの一員に加えられた。マイケルズによると"クリック"という名前はもともとレックス・ルーガーが付けたもので、バックステージでの5人の仲間の親密さから付けられた (cliqueで徒党という意味)[2]。ビンス・ルッソーの提案で、マイケルズは彼のファンを「クリック(Kliq)」と呼び始めたが[3]、彼はこのアイデアを嫌い、ファンの間ではそれほど流行らなかったという[3]

1995年10月、 クリックは、『イン・ユア・ハウス4』興行のWWE・インターコンチネンタル王座戦で、シェイン・ダグラス(ディーン・ダグラス)をマイケルズに勝たせる決定に不満を持った[1]。しかし彼らは最終的に、マイケルズが本当に負けたと見えないように、ダグラスに失格により負けることで王座を失うことに決定した[1]。そのPPV興行で、ダグラスは失格により王座を奪ったのだが、その夜にクリックのメンバーであるスコット・ホール (レイザー・ラモン)に負けてしまう[1]。ダグラスはこの出来事で激怒し、会社を訴えると脅してライバル団体のECWへと移籍した[1]

すぐ後に、カール・オーレット(ジャン・ ピエール・ラフェット)を巻き込んだ別の事件がモントリオールの興行で起こった。ラフェットはモントリオールが地元であったために、当時のWWF王者ケビン・ナッシュとの対戦で勝つブックを与えられた。しかし試合の直前になって、ラフェットはバックステージで、ナッシュを負けさせてはいけないというマイケルズの議論に取り込まれた[4]。二人の試合は両者リングアウトで終わった[5]。ラフェットはその後すぐ団体を離れた。噂とは正反対に、ビンス・マクマホンはラフェットを解雇しなかった、とマイケルズは主張している[2]

カーテンコール

クリックについて語られることで最も多いのが"カーテンコール事件"である。1996年5月19日、MSGでの興行で、ウォルトマンを除くクリックのメンバー全員が関わった[6]。この事件当時、ホールとナッシュはWWFを離れてライバル団体のWCWに移ろうとしていた[7]。この日のメインイベントで、ベビーフェイスのマイケルズは、ナッシュ(悪役"ディーゼル"として)とのケージマッチを戦った[6]。試合が終わるとすぐに、リングに上がったホールはマイケルズを抱擁した。ここまでは、両者ともにベビーフェイスであったため問題がなかった。そらその後、アンダーカードで悪役として対戦していたレヴェックが抱擁に加わった。結局は敗れてマットに倒れていたナッシュも加わり、4人で観客に対して"カーテンコール"をした[6][7]

彼らのカーテンコールの行動は、当時、ベビーフェイスとヒールの関係は現実のもので彼らはリングの外においても友人ではないという幻想を維持したいと考えていたWWF経営陣を憤慨させた[8]。さらにWWF経営陣は、この興行をカメラで撮影していたファンがいたことを予期していなかった。この撮影したテープは、翌年の1997年10月6日のロウ・イズ・ウォーで、マイケルズとヘルムスリーが、ビンス・マクマホンを怒らせる意図でストーリーライン上で使用された[9]。マイケルズは当時WWF王者で、団体のトップスターの一人であったために、罰せられなかった[7]。ホールとナッシュはすぐにWCWに去ったため、残ったレヴェック一人だけに罰が下され、メインイベントのタイトルマッチを外されて前座の試合でジョバー役を回されるようになった[10]。しかし彼は、この5ヶ月後にはWWF・IC王座を手に入れる。

彼がアンダーカードに回された罰は、WWFの将来に大きなインパクトを持つものに変わった。"MSG事件"の前、 レベスクは1996年夏のKORトーナメントの決勝戦にブックされていたが、彼のボジションはスティーブ・オースチンに代わった。最終的にこのタイトルをオースチンが勝ち取り、この時に生まれた「オースチン伝3章16節」というフレーズとともに、オースチンの快進撃が始まり[7][8]、最終的にWCWとのマンデー・ナイト・ウォーズでの勝利に与することとなった。

nWoとD-ジェネレーションX

ホールとナッシュがWCWに移籍した後、二人はハルク・ホーガンとともにnWoを結成。遅れてウォルトマンもWCWに移籍し、やはりnWoに加入した。多くのファンはケビン・ナッシュがWCWでもブッキングで勢力を持ち、自分の価値を上げようとしているのではないかと疑惑を持った。その疑惑は、連勝中のゴールドバーグに勝利してWCW王座を奪ったこと、さらに「フィンガーポーク・オブ・ドゥーム」の事件でさらに深まる。しかしナッシュ自身は、これらの事件に関わるほどブッキングの力は当時持っていなかったと主張している[11]

一方で、レヴェックとマイケルズは、チャイナリック・ルードと共にWWFでD-ジェネレーションXを結成[10]。後の1998年にショーン・ウォルトマンはWWFに復帰し、X-パックと名乗ってDXに加入した。

nWoの手のサイン"ウルフヘッド"は、もともとWWFのクリックのメンバー内で使われていたものを、ホールとナッシュがnWoに取り入れた[12]

References

  1. ^ a b c d e FAQ: Shane Douglas”. WrestleView.com. 2008年8月15日閲覧。
  2. ^ a b Michaels, Shawn; Feigenbaum, Aaron. Heartbreak & Triumph: The Shawn Michaels Story. Simon & Schuster. p. 206. ISBN 1-4165-2645-5 
  3. ^ a b Michaels, Shawn; Feigenbaum, Aaron. Heartbreak & Triumph: The Shawn Michaels Story. Simon & Schuster. p. 230. ISBN 1-4165-2645-5 
  4. ^ Clevett, Jason (2008年8月6日). “Ouellet wants another run with WWE”. Slam! Sports. Canadian Online Explorer. 2008年8月6日閲覧。
  5. ^ Pierre Carl Ouellet Profile”. Slam! Sports. Canadian Online Explorer. 2008年8月6日閲覧。
  6. ^ a b c Assael, Shaun; Mooneyham, Mike (2002). Sex, Lies, and Headlocks: The Real Story of Vince McMahon and World Wrestling Entertainment. Crown. p. 156. ISBN 1400051436 
  7. ^ a b c d Michaels, Shawn; Feigenbaum, Aaron. Heartbreak & Triumph: The Shawn Michaels Story. Simon & Schuster. pp. 226–228. ISBN 1-4165-2645-5 
  8. ^ a b Assael, Shaun; Mooneyham, Mike (2002). Sex, Lies, and Headlocks: The Real Story of Vince McMahon and World Wrestling Entertainment. Crown. p. 157. ISBN 1400051436 
  9. ^ Petrie, John. “Monday Night Raw: October 6, 1997”. The Other Arena. 2003年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月7日閲覧。
  10. ^ a b Levesque, Paul; Laurer, Joanie. It's Our Time (VHS). World Wrestling Federation. 2008年8月11日閲覧 {{cite AV media}}: 不明な引数|date2=は無視されます。 (説明)
  11. ^ Nash, Kevin. Shoot with Kevin Nash (DVD). RF Video. 2008年8月18日閲覧
  12. ^ Keith, Scott. Wrestling's One Ring Circus. Citadel Press. p. 31. ISBN 080652619X