「縦横家」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Ks (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
2行目: 2行目:


巧みな弁舌と奇抜なアイディアで諸侯を説き伏せ、あわよくば自らが高い地位に昇ろうとする、そのような行為を弁舌によって行う者が縦横家である。合従策を唱えた[[蘇秦]]と連衡策を唱えた[[張儀]]が有名→[[合従]][[連衡]]。[[蘇秦]]はその弁舌によって同時に6国の宰相を兼ねたとされている。
巧みな弁舌と奇抜なアイディアで諸侯を説き伏せ、あわよくば自らが高い地位に昇ろうとする、そのような行為を弁舌によって行う者が縦横家である。合従策を唱えた[[蘇秦]]と連衡策を唱えた[[張儀]]が有名→[[合従]][[連衡]]。[[蘇秦]]はその弁舌によって同時に6国の宰相を兼ねたとされている。
「縦横家」という言葉も彼らの策の名前に由来する(「縦」=「従」諸国が連合し秦に対抗する=合従、「横」=「衡」秦と同盟し生き残りを図る=連衡)
「縦横家」という言葉も彼らの策の名前に由来する。
*合従は諸国が連合し秦に対抗する政策のことで、これは、秦以外の国が秦の東に南北に並んでいることによる。
*連衡は秦と同盟し生き残りを図る政策のことで、信徒それ以外の国が手を組んだ場合、それらが東西に並ぶことを「横」=「衡」といったことによる。

なお、連衡の論者は往々にして秦の息のかかったものであり、それ以外の国の間を対立させ、どこかの国と手を組むことで敵になった国を攻撃し、あるいは手を組んだ国から土地や城を供出させることを目指した。[[張儀]]はその典型である。これによって、次第に秦の版図は拡大し、ついに全国統一を行うに至る、というのが戦国時代後半の歴史である。


==代表的人物==
==代表的人物==

2009年10月12日 (月) 09:26時点における版

縦横家(じゅうおうか または しょうおうか)は、中国古代の思想家たちで、諸子百家の一つ。外交の策士家たち。

巧みな弁舌と奇抜なアイディアで諸侯を説き伏せ、あわよくば自らが高い地位に昇ろうとする、そのような行為を弁舌によって行う者が縦横家である。合従策を唱えた蘇秦と連衡策を唱えた張儀が有名→合従連衡蘇秦はその弁舌によって同時に6国の宰相を兼ねたとされている。 「縦横家」という言葉も彼らの策の名前に由来する。

  • 合従は諸国が連合し秦に対抗する政策のことで、これは、秦以外の国が秦の東に南北に並んでいることによる。
  • 連衡は秦と同盟し生き残りを図る政策のことで、信徒それ以外の国が手を組んだ場合、それらが東西に並ぶことを「横」=「衡」といったことによる。

なお、連衡の論者は往々にして秦の息のかかったものであり、それ以外の国の間を対立させ、どこかの国と手を組むことで敵になった国を攻撃し、あるいは手を組んだ国から土地や城を供出させることを目指した。張儀はその典型である。これによって、次第に秦の版図は拡大し、ついに全国統一を行うに至る、というのが戦国時代後半の歴史である。

代表的人物

代表的書物