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'''天復'''(てんふく)は、[[中国]]・[[唐]]の[[昭宗 (唐)|昭宗]]の治世で用いられた[[元号]]。901年4月-904年閏4月,907年9月。
'''天復'''(てんふく)は、[[中国]]・[[唐]]の[[昭宗 (唐)|昭宗]]の治世で用いられた[[元号]]。901年4月-904年閏4月,907年9月。


[[呉 (十国)|呉]]の[[楊行密]]も、建国後に天復の年号を用いている。また、[[前蜀]]の[[王建 (前蜀)|王建]]も[[907年]]に唐が滅亡すると、簒奪を起こした[[朱全忠]]主導下で行われた[[天祐 (唐)|天祐]]改元をも遡って否定して、この年を天復7年と称した。
[[呉 (十国)|呉]]の[[楊行密]]も、建国後に天復の年号を用いている。また、[[前蜀]]の[[王建 (前蜀)|王建]]も[[907年]]に唐が滅亡すると、簒奪を起こした[[朱全忠]]主導下で行われた[[天祐 (唐)|天祐]]改元をも遡って否定して、この年を天復7年と称した。


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2009年6月29日 (月) 14:31時点における版

天復(てんふく)は、中国昭宗の治世で用いられた元号。901年4月-904年閏4月,907年9月。

楊行密も、建国後に天復の年号を用いている。また、前蜀王建907年に唐が滅亡すると、簒奪を起こした朱全忠主導下で行われた天祐改元をも遡って否定して、この年を天復7年と称した。

西暦・干支との対照表

天復 元年 2年 3年 4年
西暦 901年 902年 903年 904年
干支 辛酉 壬戌 癸亥 甲子

関連項目


前の元号
光化
中国の元号
次の元号
天祐
前の元号
中国の元号
十国
次の元号
天祐