「中山信吉」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
3行目: 3行目:
{{武士/生誕|[[天正]]5年([[1577年]])}}
{{武士/生誕|[[天正]]5年([[1577年]])}}
{{武士/死没|[[寛永]]19年[[1月6日 (旧暦)|1月6日]]([[1642年]][[2月5日]])}}
{{武士/死没|[[寛永]]19年[[1月6日 (旧暦)|1月6日]]([[1642年]][[2月5日]])}}
{{武士/改名|菊太郎(幼名)、雅楽助(通称)}}
{{武士/改名|菊太郎(幼名)、左助、雅楽助(通称)}}
{{武士/墓所|智観寺}}
{{武士/墓所|智観寺([[埼玉県]][[飯能市]])}}
{{武士/官位|従五位下、備前守}}
{{武士/官位|従五位下、備前守}}
{{武士/藩|常陸[[水戸藩]]}}
{{武士/藩|常陸[[水戸藩]]}}
18行目: 18行目:
[[1577年]]、[[小田原北条氏]]家臣・中山家範の次男として生まれた。
[[1577年]]、[[小田原北条氏]]家臣・中山家範の次男として生まれた。


[[1590年]]、[[小田原征伐]]における[[八王子城]]攻防戦で家範は討死するが、戦後、兄[[中山照守|照守]]とともに[[徳川家康]]に召し抱えられ、信吉は[[小姓]]役(1500石)として家康に仕えた。
[[1590年]]、[[小田原征伐]]における[[八王子城]]攻防戦で家範は討死するが、戦後、兄[[中山照守|照守]]とともに[[徳川家康]]に召し抱えられ、信吉は[[小姓]]役(1500石)として仕えた。


[[1607年]]、家康の11男[[徳川頼房|頼房]]が[[下妻]]10万石に配されるに伴い、特に頼房に附属されて家老(6500石)に任じられる。[[1609年]]、頼房の[[水戸]]転封により1万5000石に加増。[[1616年]]には従五位下備前守に叙任、[[1621年]]には2万石に加増される。翌[[1622年]]、常陸松岡(現在の[[茨城県]][[高萩市]])を居館を構えた。
[[1607年]]、家康の11男[[徳川頼房|頼房]]が[[下妻]]10万石に配されるに伴い、特に頼房に附属されて家老(6500石)に任じられる。[[1609年]]、頼房の[[水戸]]転封により1万5000石に加増。[[1616年]]には従五位下備前守に叙任、[[1621年]]には2万石に加増される。翌[[1622年]]、常陸松岡(現在の[[茨城県]][[高萩市]])を居館を構えた。


[[伏見城]]内で刺客をらえて褒美を賜るなど、信吉の正直な性格や人柄が家康の厚い信任を得ていたものと思料される。また、水戸藩主の後継として[[徳川光圀|光圀]]を将軍[[徳川秀忠|秀忠]]に推挙したと伝えられる。
[[伏見城]]内での盗賊縛や[[駿府城]]大火時におけ頼房救出など、信吉の正直な性格や人柄が家康の厚い信任を得ていたものと思料される。また、水戸藩主の後継として[[徳川光圀|光圀]]を将軍[[徳川秀忠|秀忠]]に推挙したと伝えられる。


1642年死去。享年65歳。
1642年死去。享年65歳。

2008年12月15日 (月) 16:38時点における版

{{{このテンプレートは廃止されました。}}}
時代 江戸時代
生誕 天正5年(1577年
死没 寛永19年1月6日1642年2月5日
改名 菊太郎(幼名)、左助、雅楽助(通称)
墓所 智観寺(埼玉県飯能市
官位 従五位下、備前守
常陸水戸藩
氏族 中山家
父母 父:中山家範、母:片倉氏
兄弟 兄:中山照守
正室:久下氏
中山信政(長男)、中山吉勝(次男)、
中山信治(四男)

中山 信吉(なかやま のぶよし、天正5年(1577年)- 寛永19年1月6日1642年2月5日))は、水戸藩附家老・中山家初代。

来歴

1577年小田原北条氏家臣・中山家範の次男として生まれた。

1590年小田原征伐における八王子城攻防戦で家範は討死するが、戦後、兄照守とともに徳川家康に召し抱えられ、信吉は小姓役(1500石)として仕えた。

1607年、家康の11男頼房下妻10万石に配されるに伴い、特に頼房に附属されて家老(6500石)に任じられる。1609年、頼房の水戸転封により1万5000石に加増。1616年には従五位下備前守に叙任、1621年には2万石に加増される。翌1622年、常陸松岡(現在の茨城県高萩市)を居館を構えた。

伏見城内での盗賊捕縛や駿府城大火時における頼房救出など、信吉の正直な性格や人柄が家康の厚い信任を得ていたものと思料される。また、水戸藩主の後継として光圀を将軍秀忠に推挙したと伝えられる。

1642年死去。享年65歳。

先代
-
常陸国内
1609年 - 1622年
次代
-
先代
戸沢政盛
中山氏(常陸松岡藩初代)当主
1622年 - 1642年
次代
中山信政