「リオネル・ファイニンガー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
15行目: 15行目:


なお、[[写真家]]の[[アンドレアス・ファイニンガー]]([[:en:Andreas Feininger|Andreas Feininger]]; 1906年-1999年)と[[ルックス・ファイニンガー]](T. [[:en:Lux Feininger|Lux Feininger]], Theodore Lukas Feininger; 1910年生まれ)は息子である。
なお、[[写真家]]の[[アンドレアス・ファイニンガー]]([[:en:Andreas Feininger|Andreas Feininger]]; 1906年-1999年)と[[ルックス・ファイニンガー]](T. [[:en:Lux Feininger|Lux Feininger]], Theodore Lukas Feininger; 1910年生まれ)は息子である。

==国内で開催された展覧会==
*ライオネル・ファイニンガー展(2008年)
**[[横須賀美術館]](8月2(土)日-10月5日(日))
**[[愛知県美術館]](10月17日(金)-12月23日(火・祝))
**[[宮城県美術館]](2009年1月10日(土)~3月1日(日))


==外部リンク==
==外部リンク==

2008年12月6日 (土) 07:55時点における版

リオネル・ファイニンガーLyonel Feininger; 1871年7月17日-1956年1月11日)は、ドイツ系のアメリカ画家。名前は、英語読みで、ライオネル・ファイニンガーとも表記される。

アメリカのニューヨークに生まれる。1880年代後半にドイツに行き、音楽、後に絵画を学ぶ。ベルリンパリを行き来し、新聞にカリカチュアを描いたりする。

1910年代に入り、ロベール・ドローネーを通じて、キュビスムを知る。1913年には、青騎士のグループにさそわれ、カンディンスキーパウル・クレーなどと活動する。1919年には、グロピウスの誘いで、バウハウスにて教鞭をとる。

グロピウスによる「バウハウス宣言」(Bauhaus-Manifest; 1919年)を掲載したパンフレットの表紙(口絵)は、ファイニンガーによる木版画である。

1937年にはニューヨークに戻り、そこに没した。


その作品は、 キュビスム表現主義を融合させたものである。典型的な作品としては、油絵の例で、階調に差をつけた色彩を使って画面(空までを含む)を平面状に分割し、それにより光を表現した風景画である。プリズムを通して見た風景のような観を呈している。

日本において、個展等の展覧会で本格的に紹介されたことはなかったが、2008年10月17日から同年12月23日まで愛知県美術館において「ライオネル・ファイニンガー展 光のクリスタル」で本格的な展覧会が開かれた。収蔵先としては、愛知県美術館(「夕暮れの海I」1927)、広島県立美術館などがある。

なお、写真家アンドレアス・ファイニンガーAndreas Feininger; 1906年-1999年)とルックス・ファイニンガー(T. Lux Feininger, Theodore Lukas Feininger; 1910年生まれ)は息子である。

国内で開催された展覧会

外部リンク