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2008年12月5日 (金) 19:22時点における版
伊集院 須賀(いじゅういん すが、生没年不詳)は、薩摩藩士西郷隆盛の最初の妻。
父は薩摩藩士伊集院兼善。薩摩の有力豪族伊集院氏の分家の一つと思われるが、兼善以前の系譜は不明である。実弟に伊集院兼寛がいる。
嘉永5年(1852年)縁あって西郷家嫡男だった隆盛(当時、吉之助)と結婚する。その際は西郷の父母・祖父母ともに健在であったが、同年に西郷の祖父、竜右衛門、父吉兵衛、母政佐子と相次いで亡くなり、翌々年の安政元年(1854年)には西郷自身も藩主島津斉彬に従って江戸へ出府してしまったため、家計は大いに苦しくなった。その影響もあってか、江戸在府の西郷に親族から相談を持ちかけて離縁した。その後の西郷と伊集院兼寛の関係が悪くなった様子もないので、円満な離縁だったといわれる。しかし西郷は終生これを後悔していたという。