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2008年12月2日 (火) 01:52時点における版
桜川 大龍(さくらがわ だいりゅう、本名:西沢寅吉、文化6年(1809年) - 明治23年(1890年)3月29日)は江州音頭の宗家。
来歴
- 1809年(文化6年)、近江国河瀬村(現・滋賀県彦根市南川瀬町)に生まれる。八日市(現・東近江市)で板前をしていたが、元来の歌好きが高じて1829年(文政12年)祭文語りの名人桜川雛山に師事。桜川歌寅と称して歌念仏・貝祭文・念仏踊りを祭文語りに取り入れた独自の節回しの音頭を考案し、祭文音頭と言われた。これが江州音頭の原形とされている。
江州音頭の発展
- その後歌寅は師匠雛山の許しを得て初代桜川大龍を名乗る。当初は八日市で祭文音頭として踊られていたが、親交のあった奥村久左衛門(初代真鍮家好文)の協力で節回しや演目等を作成し、明治初年に滋賀県犬上郡豊郷町千樹寺で踊りを披露した。これがしだいに県内各地へ広まっていった。現在は滋賀県内のみならず近畿地方各府県でも踊られている。
大龍の名跡
- 初代 桜川大龍
- 二代目 五ヶ荘 桜川大龍
- 三代目 河瀬 桜川大龍 (桜川辰丸)
- 四代目 桜川大龍 (三代目 桜川寿賀元)
- 五代目 米原 桜川大龍
現在は空名跡となっている。