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'''マリア・バルバラ・バッハ'''(''Maria Barbara Bach'' [[1684年]][[10月20日]] - [[1720年]][[7月7日]])は、[[作曲家]][[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]の又従妹で先妻。[[ヨハン・クリストフ・バッハ]]の孫に当たり、父親は[[ヨハン・ミヒャエル・バッハ]]。マリアの生涯と2人の馴れ初めについては、ほとんど知られていないが、バッハがマリアとの結婚生活に満足していたことは分かっている。7人の子をもうけながらも、そのうち4人は幼児のうちに亡くなった。マリア自身は[[1720年]]7月に急逝しており、同時期に書かれたバッハの一連の無伴奏ヴァイオリン作品や《[[半音階的前奏曲とフーガ]]》、いくつかのオルガン作品の激しい感情のほとばしりに、当時のバッハの落胆ぶりを指摘する向きもある。マリアの死後から半年後、バッハは[[アンナ・マクダレーナ・バッハ|アンナ・マクダレーナ・ヴィルケ]]と再婚、アンナはマリアの遺児たちを、わが子同様に育て上げた。マリアの遺児は、[[作曲家]]となった2人の兄弟、[[ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ|ヴィルヘルム・フリーデマン]]と[[カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ|カール・フィリップ・エマヌエル]]のほかに、第1子で長女のカタリーナ・ドロテーアがいた。 |
'''マリア・バルバラ・バッハ'''(''Maria Barbara Bach'' [[1684年]][[10月20日]] - [[1720年]][[7月7日]])は、[[作曲家]][[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]の又従妹で先妻。[[ヨハン・クリストフ・バッハ]]の孫に当たり、父親は[[ヨハン・ミヒャエル・バッハ]]。マリアの生涯と2人の馴れ初めについては、ほとんど知られていないが、バッハがマリアとの結婚生活に満足していたことは分かっている。7人の子をもうけながらも、そのうち4人は幼児のうちに亡くなった。マリア自身は[[1720年]]7月に急逝しており、同時期に書かれたバッハの一連の無伴奏ヴァイオリン作品や《[[半音階的前奏曲とフーガ]]》、いくつかのオルガン作品の激しい感情のほとばしりに、当時のバッハの落胆ぶりを指摘する向きもある。マリアの死後から半年後、バッハは[[アンナ・マクダレーナ・バッハ|アンナ・マクダレーナ・ヴィルケ]]と再婚、アンナはマリアの遺児たちを、わが子同様に育て上げた。マリアの遺児は、[[作曲家]]となった2人の兄弟、[[ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ|ヴィルヘルム・フリーデマン]]と[[カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ|カール・フィリップ・エマヌエル]]のほかに、第1子で長女のカタリーナ・ドロテーアがいた。 |
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[[category:バッハ一族|まりあ はるはら]] |
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2008年11月8日 (土) 06:46時点における版
クラシック音楽 |
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作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 ルネサンス - バロック 古典派 - ロマン派 近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 木管楽器 - 金管楽器 打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 交響曲 - ピアノ協奏曲 ピアノソナタ ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンソナタ チェロ協奏曲 フルート協奏曲 弦楽四重奏曲 - オペラ 指揮者 - 演奏家 オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 宗教音楽 |
イベント |
音楽祭 |
メタ |
ポータル - プロジェクト カテゴリ |
マリア・バルバラ・バッハ(Maria Barbara Bach 1684年10月20日 - 1720年7月7日)は、作曲家ヨハン・ゼバスティアン・バッハの又従妹で先妻。ヨハン・クリストフ・バッハの孫に当たり、父親はヨハン・ミヒャエル・バッハ。マリアの生涯と2人の馴れ初めについては、ほとんど知られていないが、バッハがマリアとの結婚生活に満足していたことは分かっている。7人の子をもうけながらも、そのうち4人は幼児のうちに亡くなった。マリア自身は1720年7月に急逝しており、同時期に書かれたバッハの一連の無伴奏ヴァイオリン作品や《半音階的前奏曲とフーガ》、いくつかのオルガン作品の激しい感情のほとばしりに、当時のバッハの落胆ぶりを指摘する向きもある。マリアの死後から半年後、バッハはアンナ・マクダレーナ・ヴィルケと再婚、アンナはマリアの遺児たちを、わが子同様に育て上げた。マリアの遺児は、作曲家となった2人の兄弟、ヴィルヘルム・フリーデマンとカール・フィリップ・エマヌエルのほかに、第1子で長女のカタリーナ・ドロテーアがいた。