「榛原 (和紙舗)」の版間の差分

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== 概要 ==
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創業[[文化 (元号)|文化]]3年(1806年)。200年以上続く老舗である。和紙(白和紙、友禅、千代紙)、和小物、便箋、金封、のし袋などの商品を取り扱っている。
創業[[文化 (元号)|文化]]3年(1806年)。200年以上続く老舗である。和紙(白和紙、友禅、千代紙)、和小物、便箋、金封、のし袋などの商品を取り扱っている。
初代佐助が[[江戸]][[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]に小間紙屋を開業したのが始まりと言われている。また、「雁皮」を原料とする「雁皮紙」を江戸の庶民に最初に売り出したことで有名である。竹久夢二が[[ヨーロッパ|欧州]]に旅立つ時に、四代目当主がこれを援助するなど、竹久夢二と関わりがあり、竹久夢二の作品を絵封筒や便せん、千代紙などで売り出し、現在でも、それら夢二の手がけた商品を販売している。
初代佐助が[[江戸]][[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]に小間紙屋を開業したのが始まりと言われている。また、「雁皮」を原料とする「雁皮紙」を江戸の庶民に最初に売り出したことで有名である。[[竹久夢二]]が[[ヨーロッパ|欧州]]に旅立つ時に、四代目当主がこれを援助するなど、竹久夢二と関わりがあり、竹久夢二の作品を絵封筒や便せん、千代紙などで売り出し、現在でも、それら夢二の手がけた商品を販売している。
夢二の他にも、[[柴田是真]]や、[[川端玉章]]、[[伊東深水]]などの絵師とも交流が深く、彼らの残した下絵を多く所有し、一部はうちわ絵などとして復刻され、店頭に並んでいる。
夢二の他にも、[[柴田是真]]や、[[川端玉章]]、[[伊東深水]]などの絵師とも交流が深く、彼らの残した下絵を多く所有し、一部はうちわ絵などとして復刻され、店頭に並んでいる。



2008年10月19日 (日) 16:11時点における版

株式会社 榛原
種類 株式会社
本社所在地 日本
103-0027
東京都中央区日本橋2-7-6 榛原ビル
設立 (創業)文化三年(1806年)
法人番号 6010001054765 ウィキデータを編集
事業内容 和紙、洋紙、和紙工品、文具ならびに各種印刷加工 計測記録紙 連続帳票
代表者 中村達男
外部リンク http://www.haibara.co.jp/
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榛原(はいばら)は、東京都中央区日本橋に存在する和紙専門店。正式商号は株式会社榛原

概要

創業文化3年(1806年)。200年以上続く老舗である。和紙(白和紙、友禅、千代紙)、和小物、便箋、金封、のし袋などの商品を取り扱っている。 初代佐助が江戸日本橋に小間紙屋を開業したのが始まりと言われている。また、「雁皮」を原料とする「雁皮紙」を江戸の庶民に最初に売り出したことで有名である。竹久夢二欧州に旅立つ時に、四代目当主がこれを援助するなど、竹久夢二と関わりがあり、竹久夢二の作品を絵封筒や便せん、千代紙などで売り出し、現在でも、それら夢二の手がけた商品を販売している。 夢二の他にも、柴田是真や、川端玉章伊東深水などの絵師とも交流が深く、彼らの残した下絵を多く所有し、一部はうちわ絵などとして復刻され、店頭に並んでいる。

ウィーン万国博覧会(1873年)、パリ万国博覧会(1878年)に日本で始めて和紙を出品し、褒状を授与した。この間欧州に渡った榛原製の和紙は、イギリスビクトリア・アルバート美術館グラスゴー美術館フランスルーブル美術館に併設されているパリ装飾美術館などに、現在も保存されている。

事業所

関連項目

外部リンク