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2008年5月16日 (金) 09:16時点における版

ルドヴィーコ・スフォルツァ

ルドヴィーコ・スフォルツァ(Ludovico Sforza, 1452年7月27日1508年5月27日)は、ミラノ公。15世紀~16世紀にミラノを支配していたスフォルツァ家の当主。通称イル・モーロ(il Moro)。1476年に甥ジャン・ガレアッツォの摂政となったが、事実上のミラノの支配者であった。

レオナルド・ダ・ヴィンチの初期のパトロンとして有名。1499年にフランス軍に捕らえられた。イル・モーロの異名は「ムーア人ベルベル人)」のように色黒だったことからついたと言われている。

フェラーラエルコレ1世・デステの次女ベアトリーチェと結婚。3子をもうけた。また、数多くの愛妾をもち、その一人チェチーリア・ガッレラーニが庶子を生んでいる。

先代
ジャン・ガレアッツォ・スフォルツァ
ミラノ公
1494 - 1500
次代
ルイ12世