「練習曲作品10-3 (ショパン)」の版間の差分

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*[[アニメーション]]
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**[[鋼の錬金術師]] - 最終話「ミュンヘン1921」で使用される。
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* ポピュラーミュージック
** '''La Chanson De L'adieu''' – [[SUEMITSU&THE SUEMITH]]によるこの曲のアレンジカバー。[[Allegro Cantabile e.p.]]収録。



{{ChopinÉtudes}}
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2008年2月10日 (日) 13:00時点における版

練習曲第3番
フレデリック・ショパン
別名 別れの曲
形式 練習曲
調拍子 ホ長調、2/4
テンポ レント・マ・ノン・トロッポ ♩=50
出版年 1832年
作品番号 Op. 10 No. 3
プロジェクト:クラシック音楽
Portal:クラシック音楽
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練習曲第3番ホ長調は、フレデリック・ショパンが作曲した独奏ピアノ曲。遅いカンタービレの練習で、右手が内声部を弾きながら、旋律の音量を維持しなければならない。日本においては、「別れの曲」の名で広く知られる。

歴史

1831年にワルシャワ蜂起失敗の報を聞いたショパンは、ポーランドへ帰国することができなくなる。だが彼にはワルシャワ蜂起に参加していない完璧なアリバイがある。それでも帰国しようとしなかった。ポーランドに対する愛国心があるが故に、蜂起に参加していなかった自分に負い目を感じていたのかもしれない。

この練習曲は、彼の祖国ポーランドとの“永遠の別れ”を描いたともいわれている。

技術

この練習曲は速度において大部分がショパンのそれと異なる。以前、ショパンの練習曲で必要とされた技術的な妙技からの大きな変化であり、技巧よりもむしろ、施律的なフレージングの表現力とレガートの雰囲気を引き出す事が重要である。彼が生まれたポーランドへの愛が高い質で顕現されており、評論家にはピアノのための詩、ロマン派作品として高く評価されている。彼の弟子の一人、アドルフ・グートマンとのレッスンでこの曲を教えていたとき、ショパンは「ああ、私の故国よ!」と泣き叫んだという。[1] ショパンはまた、「一生のうち二度とこんなに美しい旋律を見つけることはできないでしょう」といった。

関連項目

使われた作品など