「エリナー・オブ・プロヴァンス」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Gerakibot (会話 | 投稿記録)
JAnDbot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: cs:Eleonora Provensálská
13行目: 13行目:


[[ca:Elionor de Provença]]
[[ca:Elionor de Provença]]
[[cs:Eleonora Provensálská]]
[[de:Eleonore von der Provence]]
[[de:Eleonore von der Provence]]
[[el:Ελεονώρα της Προβηγκίας]]
[[el:Ελεονώρα της Προβηγκίας]]

2008年1月16日 (水) 23:08時点における版

エリナー・オブ・プロヴァンス(Eleanor of Provence, 1223年 - 1291年6月26日)はプランタジネット朝イングランドヘンリー3世の王妃。プロヴァンス伯レーモン4世の娘。サヴォイア伯アメデオ4世の姪。姉マルグリットはフランスルイ9世の王妃。

フランスエクス=アン=プロヴァンス出身。フランス語ではエレオノール・ド・プロヴァンス(Éléonore de Provence)と呼ばれる。

1236年1月14日、ヘンリー王と結婚した。彼女の輿入れには母方の伯父4人が同行して、イングランド宮廷に居座った。そのうちサヴォイア伯トンマーゾ1世の息子ボニファスはカンタベリー大司教に登用された。ヘンリー3世のポワトゥー贔屓(王太后イザベラ・オブ・アングレームの縁による)に揺れる宮廷に、王妃は無分別にもサヴォイア贔屓を行い、イングランド人を相手にせず、いたずらに不評を招く結果となった。

王との間に育ったのは2男2女である。長男エドワードは次代の王エドワード1世となる。次男エドマンドはランカスター伯となり、シモン・ド・モンフォール敗死後、レスター伯、ダービー伯シャンパーニュ伯の称号を得た。エドマンドの曾孫ブランシェはジョン・オブ・ゴーントの最初の妻である。長女マーガレットはスコットランドアレグザンダー3世の王妃となった。