イザベラ・オブ・アングレーム

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イザベラ・オブ・アングレーム
Isabella of Angoulême
イングランド王妃
IsabelledAngouleme.jpg
称号 アングレーム女伯
出生 1188年
死去 1246年5月31日
Royal Standard of the King of France.svg フランス王国フォントヴロー修道院
埋葬  
Royal Standard of the King of France.svg フランス王国フォントヴロー修道院
配偶者 イングランドジョン
  ユーグ10世・ド・リュジニャン
子女 一覧参照
父親 アングレーム伯英語版エマール・タイユフェル英語版
母親 アリス・ド・クルトネー英語版
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イザベラ・オブ・アングレーム(Isabella of Angoulême, 1188年 - 1246年5月31日)は、プランタジネット朝イングランドジョンの2度目の妃。フランス語名はイザベル・ダングレーム(Isabelle d'Angoulême)。

生涯[編集]

父であるアングレーム伯英語版エマール・タイユフェル英語版ピエール1世・ド・クルトネーの娘アリスとの間に一人娘として生まれ、1202年の父の死後にアングレーム女伯となった[1]

ラ・マルシュ伯英語版ユーグの息子ユーグ9世・ド・リュジニャン英語版と婚約の身であったが、1200年8月24日にボルドー大聖堂でイングランド王ジョンと結婚した[1]。ジョンはアングレームを身内に抱き込むことで、フランスと甥のブルターニュアルテュール1世(アーサー・オブ・ブリタニー)支持のアンジューメーヌトゥルネー、それらと対峙する母アリエノールの所領アキテーヌとの間に楔を打つのが目的であったが、この強引な結婚が元となってポワチエで蜂起が起こった[2]

1220年のジョンの死没後、イザベラはかつての婚約者ユーグ9世の息子ユーグ10世と再婚した[1]1241年末に息子ヘンリー3世とユーグ10世を扇動してフランス王ルイ9世に反乱を起こしたが、鎮圧された。

1246年に死去した。遺体はフォントヴロー修道院に埋葬された[3]

子女[編集]

最初の夫ジョンとの間に2男3女を儲けた[4]

  1. ヘンリー3世(1207年 - 1272年)
  2. リチャード(1209年 - 1272年) - コーンウォール伯、神聖ローマ皇帝候補(統治はできなかった)。
  3. ジョーン(1210年 - 1238年) - スコットランドアレグザンダー2世の王妃
  4. イザベラ(1214年 - 1241年) - 神聖ローマ皇帝兼シチリアフリードリヒ2世の3度目の王妃
  5. エリナー(1215年 - 1275年) - ペンブルック伯ウィリアム・マーシャルと結婚、後にシモン・ド・モンフォールと再婚。

2度目の夫ユーグ10世との間に5男4女を儲けた[5]。子女はイングランドの貴族となった。

  1. ユーグ11世英語版(1221年 - 1250年) - アングレーム伯英語版ラ・マルシュ伯英語版
  2. アイマー(1222年 - 1260年) - ウィンチェスター大司教
  3. アガーテ(1223年 - 1269年) - シャトーの領主ギヨーム・デ・ショヴィニと結婚
  4. アリス(1224年 - 1256年) - サリージョン・ド・ワーレンと結婚
  5. ギー(? - 1264年)
  6. ジョフロワ(? - 1274年)
  7. ウィリアム英語版(? - 1296年) - ペンブルック伯
  8. マルグリット(1226年/1228年 - 1288年) - トゥールーズ伯レーモン7世と結婚
  9. イザベラ(1234年 - 1299年) - モーリス・ド・クランと結婚、ジョフロワ・ド・ランゴンと再婚

脚注[編集]

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  1. ^ a b c Weir, p. 68
  2. ^ 森、p. 78
  3. ^ Weir, p. 69
  4. ^ Weir, pp. 69 - 72
  5. ^ Weir, pp. 68 - 69

参考文献[編集]

  • Alison Weir, Britain's Royal Families, Vintage, 2008.
  • 森護 『英国王室史話』 大修館書店、1986年

関連項目[編集]

先代:
エマール英語版
アングレーム女伯
1202年 - 1246年
次代:
ユーグ11世英語版