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「フェアリー バトル」の版間の差分

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'''バトル'''(Battle)は、[[第二次世界大戦]]初期の[[イギリス空軍]]で使用された[[フェアリー (航空機メーカー)|フェアリー]]社製の[[爆撃機]]である。[[1936年]]に初飛行した低翼単葉機でイギリス空軍初の近代的な爆撃機だったが、第二次世界大戦開戦時にはすでに旧式化していたが西部戦線でドイツ機撃墜第1号を記録したこれは後部機銃によるものであった。いずれ時代遅れはいかんともし難くドイツ戦闘機の好餌となった、しかし他に適当な単発爆撃機を持たない空軍は損害覚悟で作戦を継続し著名なセダンの仮橋爆破マーストリヒト橋爆撃がそれである。これらの作戦では戦略上多大な効果をげたが、戦術的には消耗も甚大で帰還は半数以下であ。1940年後半からは次第に前線を退いた。その後は練習機や標的曳航機として使用された。
'''バトル'''(Battle)は、[[第二次世界大戦]]初期の[[イギリス空軍]]で使用された[[フェアリー (航空機メーカー)|フェアリー]]社製の[[爆撃機]]である。[[1936年]]に初飛行した低翼単葉機でイギリス空軍初の近代的な爆撃機だった第二次世界大戦開戦時にはすでに旧式化していたが、他に適当な単発爆撃機を持たないイギリス空軍は損害覚悟で使用され著名なセダンの仮橋爆破マーストリヒト橋爆撃作戦では参加した部隊が戦略上多大な効果をげたが、部隊の半数以上が未帰還機となている。1940年後半からは次第に前線を退き、その後は練習機や標的曳航機として使用された。なお開戦直後の西部戦線でのドイツ機撃墜第1号は、本機の後部機銃によるものだった。



==スペック==
==スペック==

2007年9月7日 (金) 12:25時点における版

バトル(Battle)は、第二次世界大戦初期のイギリス空軍で使用されたフェアリー社製の爆撃機である。1936年に初飛行した低翼単葉機でイギリス空軍初の近代的な爆撃機だった。第二次世界大戦開戦時にはすでに旧式化していたが、他に適当な単発爆撃機を持たないイギリス空軍では損害覚悟で使用された。著名なセダンの仮橋爆破、マーストリヒト橋爆撃作戦では参加した部隊が戦略上多大な効果をあげたが、部隊の半数以上が未帰還機となっている。1940年後半からは次第に前線を退き、その後は練習機や標的曳航機として使用された。なお開戦直後の西部戦線でのドイツ機撃墜第1号は、本機の後部機銃によるものだった。


スペック

  • 全長: 15.87 m
  • 全幅: 16.46 m
  • 全高: 4.72 m
  • 翼面積:39.2㎡
  • 全備重量: 4,895kg
  • エンジン:ロールスロイス・マーリン5 1030hp×1
  • 最大速度: 388km/h
  • 実用上限高度:7,170m
  • 航続距離: 1,700km
  • 武装
    • 爆弾450kg
    • 7.7mm機銃×1(固定)・7.7mm機銃×1(後部旋回)
  • 乗員 3名

関連項目