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現在は極真会館の重鎮として[[松井章圭|松井]]館長らを補佐しながら、東京城東支部長として道場生の指導に当たっている。 |
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なお、支部設立の際にタブーとなっていた都内への支部設立を許可しただけでなく郷田からの上納金を拒否するなど、数ある弟子の中でも大山は特に郷田を可愛がっていたとされている。 |
なお、支部設立の際にタブーとなっていた都内への支部設立を許可しただけでなく郷田からの上納金を拒否するなど、数ある弟子の中でも大山は特に郷田を可愛がっていたとされている。そのせいか、「困ったときの郷田頼み」と言う言葉が生まれた。 |
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==関連項目== |
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2007年3月22日 (木) 12:51時点における版
郷田 勇三(ごうだ ゆうぞう、1940年3月17日 - )は、日本の空手家(八段)。極真会館最高顧問。
来歴
東京都豊島区生まれ。高校時代に「牛と戦う空手家(=大山倍達)」の噂を耳にするも道場移転の関係で入門できず、高校卒業後の1959年に大山道場へ入門。入門後は黒崎健時らの指導を受けながら上達し、総本部師範代を経て1976年に東京城東支部を設立し支部長に就任。
現在は極真会館の重鎮として松井館長らを補佐しながら、東京城東支部長として道場生の指導に当たっている。
なお、支部設立の際にタブーとなっていた都内への支部設立を許可しただけでなく郷田からの上納金を拒否するなど、数ある弟子の中でも大山は特に郷田を可愛がっていたとされている。そのせいか、「困ったときの郷田頼み」と言う言葉が生まれた。