「ヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェク」の版間の差分

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狂詩曲Op.1は、ベートーヴェンの注目を浴びていたとも伝えられている。
狂詩曲Op.1は、ベートーヴェンの注目を浴びていたとも伝えられている。


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2007年2月4日 (日) 01:38時点における版

ヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェクJan Václav Voříšek, 1791年5月11日 - 1825年11月19日)はチェコ作曲家

ボヘミアヴァンベルクで教師の息子として生まれる。1810年から1813年までプラハ大学で学び、1812年よりヤン・ヴァーツラフ・トマーシェクの弟子となる。1813年になるとウィーンに移り、そこで法律を学びながらヨハン・ネポムク・フンメルにピアノを師事した。ウィーンでは音楽サロンに参加し、そこで1814年にベートーヴェンと知り合う。1818年にはウィーン楽友協会の会員に、1823年には宮廷オルガン奏者となった。1825年に肺結核のためウィーンで死去。

作品としては、ピアノ曲として狂詩曲即興曲変奏曲ピアノソナタがあり、そのほかに室内楽曲、歌曲、交響曲ニ長調などがある。また、自筆の教会音楽作品が残っている。作風はベートーヴェンの影響が強く感じられる。

狂詩曲Op.1は、ベートーヴェンの注目を浴びていたとも伝えられている。