片桐貞利

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片桐 貞利(かたぎり さだとし、天保10年(1839年)? - 文久2年10月29日1862年12月20日))は、大和国小泉藩藩主世嗣。美濃国高富藩藩主・本庄道美の次男[1]。官位なし[1]

初名は本庄道恕[要出典]。先代藩主の貞照が文久2年(1862年)5月24日に死去したとき、嗣子が無かったため、貞利が跡を継いだ[1]

同年10月29日に死去した[1]。貞利も嗣子がなく、同年12月、松平頼功松平頼縄の弟)の長男が片桐貞篤として跡を継いだ[1]

貞利はあまりに藩主としての在職期間が短く、叙任も無かったため、11代藩主として数えない[1][注 1]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『現代華族譜要』では、貞照の次代は貞篤となっている[2]

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 維新史料編纂会 編『現代華族譜要』日本史籍協会、1929年1月15日。NDLJP:1879484 オープンアクセス
  • 柳沢文庫専門委員会 編『大和郡山市史』大和郡山市役所、1966年7月20日。NDLJP:3014315 (要登録)