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淀江城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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淀江城
鳥取県
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城主 山名氏
築城年 戦国時代
主な城主 山名氏尼子氏毛利氏
廃城年 天正4年(1576年)頃
遺構 なし
指定文化財 なし
位置 北緯35度27分25.49秒 東経133度25分46.52秒 / 北緯35.4570806度 東経133.4295889度 / 35.4570806; 133.4295889
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淀江城よどえじょう)は、鳥取県米子市淀江町淀江にあった日本の城。JR淀江駅前付近が城跡である。

概要

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大永4年(1524年)、大永の五月崩れにより山名守行のいた当城も落城し、尼子氏領となる。その後毛利氏領となったが、永禄12年(1569年)、山中幸盛らが尼子氏再興の旗揚げをすると稲吉城末吉城とともに、その拠点となった。しかし、天正4年(1576年)、尼子氏残党は伯耆因幡国から一掃され、淀江城も廃城となった。

城跡は小高い丘であったが、淀江駅建設のために削平された。わずかに堀、御屋敷、などの字名にその名残を残す。

関連項目

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