浜田駿吉
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個人情報 | |||||||||||||||
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フルネーム | 浜田駿吉 | ||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||
生誕 | 1910年10月19日 日本 兵庫県神戸市 | ||||||||||||||
死去 | 2009年12月7日 (99歳没) | ||||||||||||||
スポーツ | |||||||||||||||
国 | 日本 | ||||||||||||||
競技 | ホッケー | ||||||||||||||
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浜田 駿吉(はまだ しゅんきち、1910年(明治43年)10月19日 - 2009年(平成21年)12月7日)は、兵庫県神戸市生まれのフィールドホッケー選手、実業家[1]。出身は同県の西淡町(現南あわじ市)[2]。オーエム製作所の会長や大和紡績(現在のダイワボウホールディングス)の常務などを務めた[3]。1933年慶應義塾大学経済学部卒業。。
来歴
[編集]中学校3年時より慶應義塾普通部へと転入、その後ホッケーを始め慶應義塾大学在籍時には日本代表へと選出された。1932年にはロサンゼルスオリンピックに代表選出されゴールキーパーとして出場、出場した3チーム中2位で銀メダルを獲得した[1]。社会人となった1936年ベルリンオリンピックにも出場したが、予選リーグで敗退している[1]。
2009年12月7日、東京都渋谷区の病院にて心不全で亡くなった。99歳[2][3]。
出典
[編集]- ^ a b c “「あのメダルは今」32年ロサンゼルス ホッケー銀 浜田駿吉さん”. 日刊スポーツ (2000年3月7日). 2009年12月10日閲覧。
- ^ a b “浜田駿吉氏死去(元大和紡績〈現ダイワボウホールディングス〉常務)”. 時事ドットコム (2009年12月7日). 2009年12月10日閲覧。
- ^ a b “浜田駿吉氏死去 元大和紡績常務”. 共同通信 (2009年12月7日). 2009年12月10日閲覧。