橘広方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
橘広方
時代 平安時代中期
生誕 不明
死没 不明
改名 熊野広方→橘広方
官位 従五位下右衛門尉
主君 醍醐天皇
氏族 熊野国造家(熊野連)→橘氏
父母 父:熊野広継
広輝、良輝、良扶、鈴木良氏正室
テンプレートを表示

橘 広方(たちばな の ひろかた)は、平安時代中期の豪族貴族。氏姓は熊野連のち橘氏に改姓。熊野国造の嫡流で、牟婁郡大領・熊野広継の子。

概要[編集]

寛平9年(897年宇多天皇熊野行幸時に行長として行宮に奉仕し、その功労により郡司に任ぜられる。

醍醐朝の昌泰3年(900年従五位下叙爵すると同時に、橘氏改姓橘良殖猶子となったか)した。牟婁郡大領熊野本宮大社神職を務めた。

系譜[編集]

  • 父:熊野広継
  • 母:不詳
  • 生母不明の子女
    • 男子:橘広輝
    • 男子:橘良輝
    • 男子:橘寛正
    • 男子:橘良扶
    • 女子:鈴木良氏正室

広方の娘は同族の鈴木良氏に嫁いで鈴木重氏の生母となった。広方の3代後の橘良冬(和田良冬)が和田庄司を称した。

参考文献[編集]

  • 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年・・・系譜セクションの出典