橋爪捨三郎
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橋爪 捨三郎(はしづめ すてさぶろう、1867年11月29日(慶応3年11月4日)- 1930年(昭和5年)9月15日)は、日本の実業家である[1][2]。
経歴・人物
[編集]陸奥会津藩士の三男として生まれる[1][2]。東京帝国大学(現在の東京大学)卒業後[1][2]、三井物産に入社しその後転々と多くの企業に転勤する[2]。後に上海紡績に転勤するが[1][2]、同会社の合併により鐘淵紡績(後のカネボウ、現在のクラシエホールディングス)に移った[1][2]。
これにより同会社の副支配人を経て支配人としての職にあたり[2]、1918年(大正7年)に取締役として就任した[2]。1927年(昭和2年)には常務取締役に昇格し[1][2]、同年副社長に就任する[1][2]。副社長就任後は鐘淵紡績の経営回復に携わり[2]、1930年の死去までその職にあたった。