棲霞山石窟
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棲霞山石窟(せいかざん せっくつ)は、中国江蘇省南京郊外の棲霞区棲霞山(摂山)西麓にある仏教石窟。別名は千仏巌。また、附近には、明代に造営された天開巌も存在する。
概要
[編集]棲霞寺背後の砂岩質の岩壁を造営した石窟群であり、南朝斉以後に江南地方で営まれた石窟で、遺例が少ないため資料的価値が高い。
棲霞寺を開創したのは、南朝斉の処士の明僧紹である。法度を招請して建立し、その後、三論宗の僧朗・僧詮・吉蔵といった諸祖と称せられる名だたる学僧が住した。故に、この地は、三論宗の発祥地とも呼ばれている。
寺の方は、寺名が唐代以後に、功徳寺、棲霞寺、普雲寺、虎穴寺と変遷し、明代の初めに棲霞寺と変わり、以後、現在に至っている。
石窟に関しては、唐の上元3年(676年)に造立された「明徴君碑」に関連する記述が見られる。それによれば、石窟を造営したのは、明僧紹の子にあたる明仲璋や法度らである、という。また、本尊に相当する無量寿仏像は、南朝梁の天監15年(516年)に、臨川王蕭宏が建立した、とする。
一方、『摂山志』には、南朝陳の江総による文章が収められている。
中央には、北面した石窟(幅8.18m、深さ6.67m)が穿たれ、その中に無量寿仏像を安置している。その仏像を中心として、小規模な石窟が北東方向に4窟、西側に20窟が確認できる(幅3.64m、深さ3 - 0.9m)。三尊仏や十六羅漢・金剛力士・四天王像などが彫られている。
この石窟は砂岩質のため、岩質が脆く、摩滅が著しい。また、入り口部分などは後世の補修がされている。
参考文献
[編集]- 常盤大定・関野貞『支那仏教史蹟』4(1926年)
- 稲本泰生「南京棲霞寺石窟試論:五世紀末〜六世紀初頭の建康造像の位置づけをめぐって」(『仏教史学研究』39(2)、1997年)
- 黄征主編『南京棲霞山石窟芸術与敦煌学』(中国美術学院出版社、2002年)ISBN 7810830910