松江重頼
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松江 重頼(まつえ しげより、1602年(慶長7年) - 1680年7月24日(延宝8年6月29日))は、江戸時代初期の俳人。松江氏。通称は大文字屋治右衛門、別号(俳号)は維舟、江翁[1]。
経歴
[編集]京都の裕福な撰糸商人で、少年の頃より連歌を里村昌琢に学んだ[1]。西山宗因とは同門である[1]。1629年(寛永6年)頃から、松永貞徳や野々口親重(立圃)と俳諧選集の編集を始めるが、意見の相違から、1633年(寛永10年)に重頼単独で全17巻で5冊からなる『犬子集』(えのこしゅう)を刊行した[1]。以後、一門の地盤を京都から大坂の堺に移し、1645年(寛永21年)には『毛吹草』を刊行した[1]。
1660年(万治3年)の撰集『懐子』(ふところご)以降、和歌や漢詩や謡曲などの本歌をもじる手法を徹底して推し進め、その傾向は『佐夜中山集』(1664年(寛文4年))『時勢粧』(1668年(寛文8年))『大井川』『武蔵野』『名取川』と終生変わらなかった[1]。
代表句
[編集]- 花は芳野伽藍一(ひとつ)を木の間哉
- 順礼の棒計行(ぼうばかりゆく)夏野かな[2]