東太美村
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ひがしふとみむら 東太美村 | |
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廃止日 | 1952年5月1日 |
廃止理由 |
新設合併 西礪波郡福光町、石黒村、西太美村、広瀬村、広瀬館村、太美山村、東太美村、吉江村、東礪波郡北山田村、山田村 → 西礪波郡福光町 |
現在の自治体 | 南砺市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 富山県 |
郡 | 西礪波郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 |
吉江村、広瀬館村、西太美村、太美山村 東礪波郡南山田村・山田村 |
東太美村役場 | |
所在地 | 富山県西礪波郡東太美村土生新[1] |
座標 | 北緯36度31分46秒 東経136度51分48秒 / 北緯36.52936度 東経136.86342度座標: 北緯36度31分46秒 東経136度51分48秒 / 北緯36.52936度 東経136.86342度 |
ウィキプロジェクト |
東太美村(ひがしふとみむら)は、かつて富山県西礪波郡にあった村。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、礪波郡土生新村、東殿村、市野沢村、立野新村、土生村の区域の一部、才川七村の区域の一部及び大西村[1]の区域をもって、礪波郡東太美村が発足する。
- 1896年(明治29年)3月29日 - 郡制の施行のため、礪波郡が分割して、西礪波郡が発足により、西礪波郡に所属となる。
- 1952年(昭和27年)5月1日 - 西礪波郡福光町、石黒村、西太美村、広瀬村、広瀬館村、東太美村、太美山村、吉江村、東礪波郡北山田村及び山田村が合併して、西礪波郡福光町が発足する。
経済
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば東太美村の篤農家は、「中川清太郎、西村善蔵、奥野平左衛門」などがいた[2]。
医療
[編集]- 医師
- 細川孝一[3]
脚注
[編集]- ^ a b “帝国市町村便覧(1915年)P.289”. 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー. 2013年6月17日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』504頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月16日閲覧。
- ^ 『大日本医師名簿』245頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 高崎雅雄編『大日本医師名簿』光明社、1925年。
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。