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東太美村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ひがしふとみむら
東太美村
廃止日 1952年5月1日
廃止理由 新設合併
西礪波郡福光町、石黒村西太美村広瀬村広瀬館村太美山村東太美村吉江村東礪波郡北山田村山田村 → 西礪波郡福光町
現在の自治体 南砺市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 富山県
西礪波郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 吉江村、広瀬館村、西太美村、太美山村
東礪波郡南山田村・山田村
東太美村役場
所在地 富山県西礪波郡東太美村土生新[1]
座標 北緯36度31分46秒 東経136度51分48秒 / 北緯36.52936度 東経136.86342度 / 36.52936; 136.86342座標: 北緯36度31分46秒 東経136度51分48秒 / 北緯36.52936度 東経136.86342度 / 36.52936; 136.86342
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東太美村(ひがしふとみむら)は、かつて富山県西礪波郡にあった

沿革

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  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、礪波郡土生新村、東殿村、市野沢村、立野新村、土生村の区域の一部、才川七村の区域の一部及び大西村[1]の区域をもって、礪波郡東太美村が発足する。
  • 1896年(明治29年)3月29日 - 郡制の施行のため、礪波郡が分割して、西礪波郡が発足により、西礪波郡に所属となる。
  • 1952年昭和27年)5月1日 - 西礪波郡福光町、石黒村、西太美村、広瀬村、広瀬館村、東太美村、太美山村、吉江村、東礪波郡北山田村及び山田村が合併して、西礪波郡福光町が発足する。

経済

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農業

『大日本篤農家名鑑』によれば東太美村の篤農家は、「中川清太郎、西村善蔵、奥野平左衛門」などがいた[2]

医療

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医師
  • 細川孝一[3]

脚注

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  1. ^ a b 帝国市町村便覧(1915年)P.289”. 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー. 2013年6月17日閲覧。
  2. ^ 『大日本篤農家名鑑』504頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月16日閲覧。
  3. ^ 『大日本医師名簿』245頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月18日閲覧。

参考文献

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  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 高崎雅雄編『大日本医師名簿』光明社、1925年。
  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。

関連項目

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