敦固親王
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敦固親王 | |
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時代 | 平安時代前期 - 中期 |
生誕 | 不詳(寛平3年(891年)以前) |
薨去 | 延長4年12月28日(927年2月3日) |
別名 | 桃園兵部卿宮 |
官位 | 二品兵部卿 |
父母 | 父:宇多天皇、母:藤原胤子 |
兄弟 | 醍醐天皇、斉中親王、斉世親王、敦慶親王、敦固親王、斉邦親王、均子内親王、柔子内親王、君子内親王、戴明親王、敦実親王、孚子内親王、成子内親王、依子内親王、行中親王、誨子内親王、季子内親王、雅明親王、行明親王、源順子、他 |
妻 | 慶子内親王 |
子 | 源宗至、源宗城、寛忠 |
敦固親王(あつかたしんのう)は、宇多天皇の皇子。醍醐天皇の同母弟。官位は二品・兵部卿。桃園兵部卿宮と称した。
経歴・人物
[編集]寛平3年(891年)兄弟の斉邦とともに親王宣下を受ける。延喜2年(902年)元服し、醍醐天皇が直接位記を記して三品に叙せられる。のち、大宰帥・兵部卿を歴任し、二品に至る。延長4年(926年)12月28日薨去。最終官位は二品兵部卿。
管弦に長じ、内宴では度々琵琶を担当した。一条北大宮・世尊寺南に邸宅を構え、桃園兵部卿宮と称された。勅撰歌人として『後撰和歌集』に和歌作品が1首入集している。
官歴
[編集]注記のないものは『日本紀略』による。
- 寛平3年(891年) 2月14日:親王宣下
- 延喜2年(902年) 2月3日:元服、三品
- 延喜10年(910年) 正月23日:帯剣、見大宰帥[1]
- 延長2年(924年) 正月27日:見大宰帥[1]
- 時期不詳:兵部卿。二品[2]
- 延長4年(926年)12月28日:薨去(二品兵部卿)[1]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。
脚注
[編集]参考資料
[編集]- 『大日本史料』1編5冊
- 『本朝皇胤紹運録』