戸川村由

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戸川 村由(とがわ むらより、元禄12年(1699年) - 天明5年5月9日1785年6月15日)は、江戸時代中期の幕臣旗本)・知行3,000は利章、利栄、隆利、長昌、安昌、村由の順に変えた。通称は友之助、のち隼人、左門、五左衛門の順に変えた。

堀利雄の四男として生まれ、先代・安村の養子となる。妻は安村の養女(永井直起の娘)、後妻は大沢基隆の娘。子に戸川村眞堀長尚堀利記の養子)、娘(山田利寿妻)。

享保14年(1729年)、養父の死により家督相続する。

享保17年(1732年)、享保の大飢饉に遭い、知行地内の年貢減免を行い、また幕府より600の貸付を受けて飢民対策に当たった。

江戸では、使番小普請組支配などを歴任した。

明和元年(1764年)に隠居し、子の村眞に家督を譲った。天明5年(1785年)5月9日没。

先代
戸川安村
帯江戸川家当主
4代:1729年 - 1764年
次代
戸川村眞