戯志才
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戯志才 | |
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後漢 謀士 | |
出生 |
生年不詳 豫州潁川郡 |
拼音 | Xì Zhìcái |
主君 | 曹操 |
戯 志才(ぎ しさい、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。豫州潁川郡の出身。
生涯
[編集]世俗に背を向けた生き方をしていたが[1]、荀彧によって曹操に策謀の士として推挙される。曹操からもその才能を重んじられていたが、早逝した。
彼の死後、曹操は荀彧に「戯志才が亡くなり、計略を相談できる者がいなくなった。元より汝南・潁川は優れた人物の多い地だが、誰か彼の後を継げる者はいないだろうか」と手紙を送り、新たに荀彧の推挙を受けた郭嘉がその後を継いだ。
小説『三国志演義』には登場しない。
出典
[編集]脚注
[編集]- ^ 『三国志』魏書 荀彧伝注『荀彧別伝』