悪路神の火
悪路神の火(あくろじんのひ)は『諸州採薬記抄録』や佐々木貞高(為永春水)の随筆『閑窓瑣談』に記されている日本の怪火。伊勢国、あるいは伊勢のうち田丸領間弓村(現三重県度会郡玉城町)の猪草が淵に現れたとされる。
概要
[編集]以下、天保12年(1841年)刊行の『閑窓瑣談』より概略を記す[1]。
猪草が淵は幅十間(約18メートル)ばかりの川に、水際まで十間を越える高さに丸木橋を渡す。水底は深く、さらに周囲には山蛭が多く住む大変な難所であった。このあたりに出没したのが悪路神の火である。雨の降る夜に特に多く現れ、誰かが提灯を灯しているかのように往来する。この火に出会った者は、素早く地に伏して通り過ぎるのを待ち、逃げ出せばよい。このようにせず、うっかり近づけば病に侵され、大変な患いになるという。
閑窓瑣談の典拠
[編集]『閑窓瑣談』はこの話の典拠として、享保年間に幕府の採薬使として諸国を巡った阿部友之進(照任)の採薬記を挙げ、友之進が「眼前に見聞し」たものと記している。阿部照任の著述としては、松井重康とともに口述した『採薬使記』があるが[2]、この書に悪路神の火の記載はない。いっぽう、享保5年(1720年)から、宝暦4年(1754年)まで採薬使であった植村政勝の著す『諸州採薬記抄録』伊勢国の項には、『閑窓瑣談』とほぼ同様の記述が見られる[3]。ただし、『諸州採薬記抄録』では「猪草淵」の次に続けて「悪路神の火」を記すものの、この怪火を猪草淵に現れるものとしているわけではない。
(猪草淵の記述を略す) 又同国にて悪路神の火とて雨夜には多く挑灯のことく往来をなす、此火に行逢ふ時は流行病を受て煩ふよし、依之此火に行逢ふときは早速に地に伏す、彼火其上を通すへるによつて此病難を逃るゝといへり、 — 諸州採薬記抄録 巻一
『閑窓瑣談』の該当部分。
(猪草が淵の記述を略す) 又此邊に悪路神の火と號て、雨夜には殊に多く燃て、挑灯のごとくに往來す。此火に行合者は、速に地に俯に伏て身を縮む。其時火は其人の上を通路するなり。火の通り過るを待て迯出す。然も爲ざる時は、彼火に近付て忽ちに病を發し煩ふ事甚しといふ。 — 閑窓瑣談 第三十四
類例
[編集]怪火にあって病を得る例は他書にも見える。古くは『日本書紀』斉明天皇7年(661年)に、宮中に鬼火が現れ大舎人や諸近侍が多数病死したとある[4]。また津村淙庵の見聞録である『譚海』には「天狗火」の記事があり、この怪火は遠州(静岡県西部)の海辺に現れ、これに近づいた者は多く病悩するという[5]。
その他
[編集]地上から60~90センチメートルの高さをふわふわと飛ぶという[6]。