平野王

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平野王(ひらのおう、天応元年(781年) - 天長6年6月19日829年7月23日))は、平安時代初期の皇族。系譜は明らかでないが、光仁天皇の孫[1]三品薭田親王の子か。官位正四位上出雲守

経歴[編集]

大同5年(810年)無位から従四位下に直叙される。のち侍従に任ぜられ豊前守を兼ねる。弘仁11年(820年)従四位上、弘仁13年(822年正四位上嵯峨朝末に急速に昇進する。

淳和朝に入ると昇進は止まり、出雲守と地方官に転じた。 天長6年(829年)6月19日卒去享年49。最終官位は出雲守正四位上。

官歴[編集]

日本後紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 石田[1997: 17]

参考文献[編集]

  • 森田悌『日本後紀 (中)』講談社講談社学術文庫〉、2006年
  • 森田悌『日本後紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、2007年
  • 石田敏紀『奈良・平安初期における二世王の存在形態』高円史学13巻、1997年