山田裕司

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山田 裕司
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 石川県小松市
生年月日 (1985-07-09) 1985年7月9日(38歳)
身長
体重
180 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2003年 ドラフト2巡目
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

山田 裕司(やまだ ゆうじ、1985年7月9日 - )は、石川県小松市出身の元プロ野球選手(投手)。

来歴・人物[編集]

プロ入り前[編集]

小学校3年生の時に野球を始める[1]。当初は捕手投手を兼任していた[1]

小松市立高時代は甲子園出場は無かったものの、2年秋の石川県大会では優勝し、北信越大会でベスト8[1]。ドラフト会議前は11球団から調査書が届くなど[1]、プロからの評価が非常に高かった(野手としても評価する球団もあった)[2]

2003年度のドラフト会議で、ヤクルトスワローズから2巡目で指名を受け入団。

プロ入り後[編集]

1年目の2004年は一軍どころか二軍でも登板機会はなく体力作りのシーズンとなった[3]

2年目の2005年は春先に左膝半月板の手術に踏み切るなど、度重なる故障に悩まされた。このシーズンも二軍ですら登板機会はなかった[4]

2006年に二軍で初登板するも、成績を期待する段階では無く、3年目にして体力作りのシーズンとなった。秋にはフェニックスリーグにも参加しており、初の順調なシーズンとなった。この年の二軍での成績は6試合に登板し、0勝2敗0S、防御率は9.00であった[5]

2007年はファーム選手の混成チーム、フューチャーズに派遣され出場機会は増えていたものの、10月に球団から戦力外通告を受け引退。この年の成績は二軍で3試合に登板し、0勝0敗0S、防御率は4.91であった[6]

選手としての特徴[編集]

ストレートの最速は145km/h[2]。変化球はシュートの評価が高かった[2]。また投打とも高いセンスを持っていた[2]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]

  • 一軍公式戦出場なし

背番号[編集]

  • 56 (2004年 - 2007年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 12球団全選手カラー百科名鑑 2004 日本スポーツ出版社 P84
  2. ^ a b c d 野球太郎 No.002 P191 廣済堂出版
  3. ^ 12球団全選手カラー百科名鑑 2005 日本スポーツ出版社 P150
  4. ^ 12球団全選手カラー百科名鑑 2006 日本スポーツ出版社 P182
  5. ^ 12球団全選手カラー百科名鑑 2007 日本スポーツ出版社 P165
  6. ^ NPB 2007年度 東京ヤクルトスワローズ 個人投手成績(イースタン・リーグ)”. 2013年8月13日閲覧。

関連項目[編集]