山田古麻呂
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山田 古麻呂(やまだ の こまろ)は、奈良時代の官人。姓は史のち連。官位は外従五位下・主税助。
経歴
[編集]淳仁朝の天平宝字3年(759年)播磨大掾・正六位上の時に天皇の詔に応えて、以下のような意見封事を行っている。
- 正丁の百姓(人民)が5人以上の男子を生んだとして、その男子の年齡が20歳以上になれば、庸・調を納め父子ともに課役を従わなくてはなりません。このような場合、いくらか優矜(優遇)があるべきです。庶民が正丁5人以上を生む場合には、その課役を免じることをお願いしたい。
この奏上は、担当の所司に付託して施行された[1]。なお、この奏上は『政事要略』にもにも「国史云」として引用されているほか[2]、制度そのものは『延喜式』に継承されている[3]。
同年12月に一族の山田白金ら74人が史から連に改姓していることから、古麻呂も同時に改姓したものと想定される。天平宝字5年(761年)外従五位下に昇叙され、翌天平宝字6年(762年)主税助に任ぜられた。その後の記録はなく、藤原仲麻呂の乱における去就は不明。
官歴
[編集]『続日本紀』による。