山方泰護

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山方 泰護(やまがた やすもり、寛文2年1月29日1662年3月19日) - 享保5年11月4日1720年12月3日))は江戸時代久保田藩家老上杉憲顕(民部大輔)の6子・山方能登守を祖とする山方氏当主で婿養子。実家は真崎氏分家で実父は真崎五郎左衛門。初め真壁氏養子になった長兄からの分知により真壁氏を称する。は初め広近。山方氏時代に憲武、後に泰護[1]通称は初め造酒、山方氏時代に民部、太郎左衛門。家格は宿老廻座。養孫は山方助八郎。

経歴[編集]

真壁氏嫡家の養子となった実の長兄の真壁充幹(甚大夫)より20石を新田分知され真壁氏となり、元禄2年(1689年)に山方民部の婿養子となる。末期養子での相続だったので先代の石高1200石を減少された石高680石を相続。[2]

元禄7年(1694年)に大小姓番頭、同9年(1696年)に大番頭、宝永2年(1705年)に寺社奉行と昇進する。のち家老に就任して石高120石を拝領。

脚注[編集]

  1. ^ 「秋田武鑑 全」のまえがき掲載の真崎氏系図。
  2. ^ 「秋田武鑑 全」のまえがき掲載の真崎氏系図及び同書142pの山方氏系図より。

参考文献[編集]

  • 三浦賢童編「秋田武鑑 全」(無明堂出版、1981年、原著者は「久保田家中分限帳」の著者)
  • 家臣人名事典編集会「三百藩家臣人名事典1」(新人物往来社、1987年)