小笠原信浄
表示
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 慶長4年4月19日(1599年6月11日) |
別名 | 信清、明野與四郎 |
官位 | 伊勢守 |
主君 | 津軽為信 |
氏族 | 小笠原氏 |
小笠原 信浄(おがさわら のぶきよ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。津軽氏(大浦氏)の家臣。諱は「信清」とも。伊勢守。
略歴
[編集]元々は信濃国深志郷の出身で、天文年間に陸奥国南部領の明野に移り、明野與四郎と名乗る。天文22年(1553年)頃より大浦為信に仕えた重臣で、さまざまな戦いで貢献したといわれる。森岡信元や兼平綱則らと並んで、大浦三老の一人に数えられている。
文禄元年(1592年)、木庭袋(きばくら)と改姓し、居土村に隠居した。
参考資料
[編集]- 『戦国時代人物事典』(学習研究社、2009年) ISBN 4054042902
- 『青森県史』