小出有重
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永13年(1636年) |
死没 | 元禄6年5月23日(1693年6月26日) |
別名 | 三左衛門(通称) |
戒名 | 真空院殿前隅州太守雪厳宗松居士 |
墓所 | 東京都港区南麻布の天真寺 |
官位 | 従五位下、大隅守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 和泉国陶器藩主 |
氏族 | 小出氏 |
父母 | 父:小出有棟、母:安部信盛の娘 |
兄弟 | 有重、有秀、織田秀一室、北條氏朝室、宗礥、有仍、有定、大島義高室、池田正斉室、松平重矩室 |
妻 |
正室:金森頼業の娘 継室:真田信政の娘 |
子 | 小五郎(早世)、重興、娘(坂本成方室、のち酒井重英室)、娘(小出尹利室)、重昌 |
小出 有重(こいで ありしげ)は、和泉陶器藩の第3代藩主。陶器藩(秀家系)小出家4代。
生涯
[編集]寛永13年(1636年)、第2代藩主・小出有棟の長男として和泉で生まれる。寛文8年(1668年)11月3日、父の死去により跡を継いだ。
明暦4年(1657年)3月15日に御目見、寛文8年(1668年)11月3日に遺領を継ぎ、寛文8年(1668年)12月27日に従五位下・大隅守に叙任。
寛文9年(1669年)から寛文10年(1670年)に駿府加番を命じられる。延宝4年(1676年)および天和2年(1682年)に年頭勅使の江戸参向にあたり新院使の饗応役、貞享5年(1688年)には本院使の饗応役を務める。
元禄4年(1691年)7月26日から元禄5年(1692年)5月9日まで半井卜仙瑞慶を預けられる[1]。
元禄6年(1693年)5月23日に病により死去した。享年58。跡を次男の重興が継いだ。
脚注
[編集]- ^ 『徳川実紀巻25』元禄4年~5年