寺西閑心

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

寺西 閑心(てらにし かんしん、生没年不詳)は、江戸時代前期に活躍した侠客[1]剣術家である[2]

経歴・人物[編集]

尾張に生まれる[1]。初めは当時下総古河藩主であった土井利隆に仕えたが[2]1660年万治元年)利隆が隠居した事により江戸に入った[2]

後に剣術を庶民に対し伝達したが[1]、侠客となり深見重左衛門と親交を深めた[2]。晩年は赤坂にて侠客の集団である「六法組」に属する13人余りを斬った後に下野に亡命したとみられているが[2]、その後の経歴については不明。

脚注[編集]

  1. ^ a b c デジタル大辞泉小学館)『寺西閑心』- コトバンク
  2. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『寺西閑心』- コトバンク