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富士薬品 (広島県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

富士薬品株式会社(ふじやくひん)は、医薬品卸売を中心とする日本企業であった。現在はアルフレッサ ホールディングスグループの一社「ティーエスアルフレッサ」である。

概要

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  • 1945年(昭和20年)9月 - 韓国の中外製薬京城(現:ソウル)支店から引き揚げてきて同社の松永工場(現在は閉鎖)に勤務していた創業者の浦田盛が会社を退職し、1947年(昭和22年)4月に「不二薬品」を創業。
  • 1949年(昭和24年)4月 - 「株式会社不二薬店」に商号変更。国立大竹病院・マツダ病院・広島赤十字・原爆病院県立広島病院広島逓信病院広島記念病院・国立療養所原病院等の比較的大病院との取引関係が強く、開業医はそこそこで、薬局・薬店へは全くといってよいほど取り引きがない状態だった。その後、福山分室(広島県福山市御門町1-1-29)を開設。
  • 1962年(昭和37年)2月 - 資本金を250万円に増資して「富士薬品株式会社」に商号変更。
  • 1964年(昭和39年)10月 - 中外製薬の働きかけで「有限会社広島中央薬局」の卸部門に関する営業権を譲り受け、資本金を2,000万円に増資した。「中央薬局」の従業員40名の内20名が「富士薬品」に移籍した。
  • 代表取締役社長に浦田盛、代表取締役副社長に山吉雙一が就任する。
  • 八紅産業との合併直前の1965年(昭和40年)3月末の売上高は3億6,600万円であった。

会社概要

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沿革

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  • 1947年(昭和22年)4月 - 「不二薬品」創業。
  • 1949年(昭和24年)4月 - 「株式会社不二屋薬店」へ商号変更。
  • 1952年(昭和27年)4月 - 資本金100万円で「有限会社富士薬品商会」設立。
    • 代表取締役社長・浦田盛 取締役・浦田一二三・枝広千一郎・金井春夫・遠部泰業・三宅福太郎 監査役・渡辺利忠・川地辰之介
  • 1962年(昭和37年)2月 - 「有限会社富士薬品商会」から「富士薬品株式会社」へ商号変更
  • 1964年(昭和39年)10月 - 「有限会社広島中央薬局」の卸部門を譲受し資本金1,000万円に増資
    • 代表取締役社長・浦田盛 代表取締役副社長・山吉雙一 取締役・山吉胎二・田川久三・枝広千一郎・金井春夫 監査役・川地辰之介
  • 1965年(昭和40年)4月 - 広島県広島市の「八紅産業株式会社」と合併し「成和産業株式会社」(現:「ティーエスアルフレッサ株式会社」)に商号変更

営業所

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  • 広島市・福山市

主な取引メーカー

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  • 中外製薬
  • 武田薬品
  • 山之内製薬
  • 明治商事
  • 鳥居薬品
  • 三共
  • 第一製薬
  • 興和新薬
  • 台糖ファイザー
  • 大塚製薬